定価:¥ 6,300(税込)
特価:¥ 5,002(税込)
発売日:2005-06-25
売上ランキング:DVDで7853位
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Amazon人気商品ランキング/ルキノ・ビスコンティpsWorksはAmazon.co.jpの提携サイトです。代金確認、及び商品の発送はAmazon.co.jpが行います。 1500円以上のお買い上げで国内配送料無料!! 中古価格が表示されている商品は[商品詳細]ページでご購入頂けます。 商品総数:20/総ページ数:2 最終更新日:2008/08/30 山猫 イタリア語・完全復元版
特価:¥ 5,002(税込) 発売日:2005-06-25 売上ランキング:DVDで7853位 ユーザー評価: DVD / 通常24時間以内に発送 カスタマーレビューピックアップ 後年のビスコンティ作品「地獄に堕ちた勇者ども」を連想させる、貴族の没落を 描いた大作。「地獄に・・」のほうが衝撃的な内容なのでこちらのほうがとても 落ち着いた、地味な作品に感じてしまった。 監督自身を描いた作品、という見方が多いこの作品。 監督が名門貴族出身で、それでいて共産党に入党したり、貴族社会の没落と 来るべき若い社会を冷静に受け入れ態度はこの映画の主人公、サリーナ公爵とかぶって見える。 純粋に作品を楽しむ、という点ではちょっと違うけどやはり監督自身の 経歴を知って見たほうが作品を楽しみやすいし、テーマもはっきりわかる気がします。 蛇足なのですが、劇中「美女」という役回りのアンジェリカ 自分としてはまったく美しいと思えませんでした・・・ 意地悪そうな顔で、往年の大映ドラマでヒロインをいじめそうな顔、というのが 私の印象です。 劇場公開版はシドニー・ポラックの監修とのこと カスタマーレビューピックアップ この映画は1860年代のイタリア統一を舞台にシチリア貴族の終焉の美学と時代の変遷による世代交代を3時間以上にもわたって描いた芸術作品。 イタリアに行くと、よく耳にするのが、「イタリア人と言うのはいない。ナポリ人、ミラノ人。等は存在する。」と言う話だ。 要するにイタリアはルネッサンス期にも分裂していたらしいが、(漫画チェーザレ参考)その後も小国同士で何度も統一、分裂を繰り返し、小さな公国を寄せ集めた地域であった。 (だから、ナポレオン一世の兄ジョセフがナポリ公国王をやってたりした) その小国群から、イタリアを統一し、民主主義の共和制国家へと移行する時代の激流の最中に、シチリア島で支配階層として君臨していた山猫の紋章を持つサリーナ公爵と、その甥タンクレディ、甥の恋人で新富裕層出身のアンジェリカの恋愛を中心に展開していきます。 それは、イタリア貴族の超名門出身のヴィスコンティ監督が、映画の登場人物を使い、滅びゆく者の美学を描くと同時に、貴族階級の支配社会の終焉と、老いと死の象徴がサリーナ公爵であり、 新時代の共和制民主主義と、生命感と若さと愛の象徴が、愛国心溢れる甥のタンクレディ、と新富裕層出身で野性的で挑発的なアンジェリカとして描いているのが分かります。 時代の激流に特別抗う事も無く、只、自分たちの時代の終焉を悟りながら黙ってそれを享受する貴族の心中があらゆる場面で描かれていますが、 それを最も鋭く描かれている場面が、甥とアンジェリカの婚約と社交界デビューを兼ねた、旧時代の貴族と新興富裕層が同時に参加した舞踏会であると思います。 舞踏会が終わった場面は、一つの時代と言う舞台から役者達が消えた宴の後の悲しさが漂いますし、貴族支配の時代から、庶民の時代へと移り変わるのを端的に表している様が素晴らしい。 青年時代、ファシスタ政権に抵抗する演劇等を作り、地下潜入していた「赤い貴族」ヴィスコンティの自身、自らの貴族階級への執着とその時代の終焉と言う現実を、彼は自ら滅びゆく貴族階級を題材にした映画を作る事で納得しようとしていたのかもしれない。 余談ですが、サリーナ公爵とアンジェリカが舞踏会で踊るシーンの曲はヴェルディの未発表曲。ヴェルディファン必聴。 又、イタリア統一に関してナポレオン三世への刺客として送られたカスティリオーネ夫人に関しては、白泉社「皇妃ウージェニー」載っています。フランス側から見たイタリア統一のご参考までに。 カスタマーレビューピックアップ ビスコンティがクラウディア・カルディナーレのバッグの中身にまでこだわったという、シチリア貴族の絢爛たる衣装、豪華な宮廷内の装飾を十分に堪能するには、やはりデジタル・リマスター版で鑑賞することをおすすめしたい。 アントニオーニのイタリア映画にも必ずといっていいほど招かれるハリウッドスター。アフレコのため口の動きとイタリア語音声がまったく合っていないのが気になるところだが、シチリアの名門貴族ファブリツィオ・サリーナ公爵を演じるバート・ランカスターは、マッチョな前歴とは裏腹に、なぜかビスコンティ劇場では何の違和感もなくその存在感が屹立している。新時代の動きに機敏に対応する才気あふれる公爵の甥タンクレディを演じたアロン・ドロンを軽くしのいでいる。その相手役、新興ブルジョワの娘からタンクレディの妻におさまるアンジェリカを演じた若きクラウディア・カルディナーレは、頬のあたりがふっくらとしてまだあどけなさが残っているが、そのウエストは完璧なまでにシェイプされ、ビスコンティがこだわりぬいた舞踏会用のドレスが美しくスクリーンに映えていた。 イタリア統一戦争の波に翻弄されるシチリア名門貴族サリーナ家は、ミラノの名門貴族であったビスコンティ家とそのまま重なる。『新旧2つの世界にまたがって生きている』サリーナ公爵が中央政府の使者から上院議員就任の勧誘を受けるシーンにおいて、この映画のテーマがよく語られている。『異文化の圧迫を受け続け、2500年間自らの文化を作り出せなかったシチシア人は老いている。我々は長い眠りを求めているのだ。…ただ忘れ去られたいのだ』『血なまぐさい事件も、甘美な時の流れに身をゆだねるのも、結局は官能的な死への欲求なのだ』『現状を肯定する者に向上はのぞめぬ。自己満足は否定よりも強い』こんな言葉を外資系の会社で言おうものなら、「お前やる気あんのか」と上司からまちがいなくどやされるのがオチだが、ライオン髭をたくわえ人生の悲哀を味わいつくした老公爵が切々と語ると何とも説得力があるから不思議だ。仏教の<無常>にもつながる世界観を、アメリカを含めた新興国の人々が理解するのはおそらく難しいだろう。 既得権益にしがみつき、いつまでも後進に道を譲ろうとしない日本のご老人たちに、この映画で描かれる<去り際の美学>を是非学んでほしい。 カスタマーレビューピックアップ 二度ともうこんな映画監督は現れないだろうし、二度とこんな映画は作れないだろう、と思われる作品。 ヴィスコンティの生涯の映画のテーマは首尾一貫したものがあったと思うが、その中で「山猫」こそが、ヴィスコンティの最高峰といえるのは、西洋キリスト教的な貴族文化の象徴であり、その最高の趣味を現出しながら、時代の変化の中に敗北し、滅びゆく姿を描きながらも、アラン・ドロンとクラウディア・カルディナーレ扮するカップルに、未来への希望をつなげていくところだと思う。消え行く姿が、決して悲しみだけで終わらせていないところが、この作品の最高の評価を与えているところであり、他のビスコンティ作品とも一線を画している点なのだろう。 若い頃のアラン・ドロンは、本当に美しく、こんなに格好良かったのだ、とあらためて感じさせられたし、なぜ、この作品がカンヌの最高賞なのかも、観て納得できた。 ヴィスコンティそのものは、貴族であり、クリスチャンでありながら、共産主義者というとても矛盾に満ちた人ではあったけれど、この作品の中に、彼の資質のすべては現われているといえよう。 カスタマーレビューピックアップ
以前 NHK で放送していてその時、余りしっかり見ていなくて、・・山猫のDVDを捜して・他のサイトで発見したのですが!在庫がなく捜していたら、運良く購入・・・でき即再生、本編が長いですが!素晴らしい映画デス!ただ今のところ吹き替え版がないので、途中で飽きてしまいますが、是非、まだ注文出来る時に購入する事を! ルートヴィヒ 復元完全版 デジタル・ニューマスターカスタマーレビューピックアップ ルキノ・ヴィスコンティのいわずと知れた名作、『ルートヴィヒ 神々の黄昏』。 とにかく映像が美しく、演技、そして語りが美しい!他には何もいえないほどだ。 映画ファンなら誰でも1回は見るべき作品であることは確かである! カスタマーレビューピックアップ 全四時間という長編大作映画ですがまったく退屈しません。 むしろ画面に引き込まれて時の過ぎるのが忘れるくらいの面白さでした。 バヴァリア(バイエルン)国王ルートヴィヒ二世の一代記です。 この手の映画は時代背景や豪奢な生活の描写に気を取られて 本編のストーリーがなおざりにされてしまうものですが 現地ロケや本物のお城を使ったロケーション、豪華なセットも あるのが当たり前なストーリーの背景。 あくまでも主人公は悲劇の国王ルートヴィヒにあり、彼のドラマの重さに華美も霞むほど。 狂った暴君を弾劾する自称“忠臣”達の証言をバックに 悩めるルートヴィヒの生涯が次々と表れ最後は幽閉され悲劇的なクライマックスへと突き進む。 ルートヴィヒ自身、自分が王位の牢獄にいて背後に蠢く陰謀を知りつつも いやどうしようもない運命を甘んじて受け入れて破滅していく哀しさ。 この悲劇の主人公を「地獄に墜ちた勇者ども」のマルティンこと ヘルムート・バーガー氏が渾身の演技で演じ切ります。 もう肖像画から抜け出たような美男の国王が晩年醜い中年となり死んでいくわけですが 最後まで凛とした高貴さを持ち続け周囲の醜い政治家をあざ笑うかのような最期を遂げます。 配役も面白く「地獄に〜」の悪の親衛隊長役のヘルムート・グリーム氏が優しい忠実な近衛兵を、 ナチの陰謀の告発者役のウンベルト・オルシーニ氏が王を貶める政治家役を好演しています。 「地獄に墜ちた勇者ども」が醜い強者もありながら ささやかな真実と幸せを持ち合わせた弱者のいる現実世界が ナチという狂った理想と幻想に破壊されるお話ならば この「ルートヴィヒ」は狂いながらも高潔な幻想と理想の国王を 汚い現実と意地汚い俗物が破壊していくお話でしょうか。 お話の序盤から中盤にかけてのルートヴィヒとエリザベートとのやり取りは素敵です。 王にとって初恋であり可憐なほどの片思い。 この恋愛ドラマだけでも1本の映画になるのに それ以上の陰謀ドラマも入れて破綻しない凄まじい構成。 惜しむらくに音声がイタリア語の吹き替え(役者さんは別)になっています。 願わくばオリジナルの英語音源で聴きたいのですが。 そのマイナス点を差っ引いても素晴らしい映画です。 カスタマーレビューピックアップ 20世紀初頭に貴族として生まれたヴィスコンティにとって、この世はなかなか生きにくい世界だったのではないかと思われます。 簡単に言えば生まれてくる時代を間違えたー、あるいは自分はこの世にうまくフィットしないーということではないでしょうか。 無論そんな思いを抱きながら生きている現代人だって多いはず。 ルードヴィヒは恐らくそういった人間たちの王様的人物でしょう。 普通人とは比べものにならない富と権力の持ち主、芸術かぶれのルードヴィヒは、自分だけの芸術的幻想の世界に生きようとします。 しかし、彼は決して芸術家ではないー、あくまで芸術愛好家、ディレッタントに過ぎません。 やがて、そんな境遇にも安住できない自分に気付くのです。 彼をいいように食い物にするワーグナーが出てきますが、そのふてぶてしさと逞しさはホントに見もの。 ヴィスコンティ自身は本物の芸術家でディレッタントではないのですが、この人物を描くことに異様な執念を燃やしていたことを考えてみても、やはり気持ちの上で通じるものがあったはず。 やがて死を選ぶルードヴィヒが、自分は誰からも理解されなくていいーというくだりは悲しいです。 この作品は本当に残酷で冷徹です。 そしてヴィスコンティの悲しみが伝わってくるようです。 是非見てください。 カスタマーレビューピックアップ 『ルードヴィヒ 神々の黄昏』が劇場用にビスコンティ自らが編集した3時間バージョン。この『ルードヴィヒ 復元完全版』は、ビスコンティの死後、関係者が作者の意図を汲んで編集し直したもので、DVD2枚組の間にインターミッションが入る、4時間に渡る長編モノだ。『神々の黄昏』ではカットされた、ルードヴィヒを取り巻く官僚、医師、兵士、給仕などの証言などが盛り込まれ、より史実を意識した内容となっている。 文学における想像上の人物を取り上げることが多かったビスコンティ作品の中で、歴史上実在の人物の一生を史実に忠実に描いている。19歳〜40歳までのルードヴィヒ2世を一人で演じ通したヘルムート・バーガーの一世一代の演技は、『地獄に堕ちた勇者ども』や『家族の肖像』と比較しても、断然輝いている。一方、ルードヴィヒがひそかな恋心を抱いていたというエリザベートを演じたロミー・シュナイダーは、押しの強い傲慢さが目立ちすぎて、自分の中のか弱いイメージとはかなりかけ離れていた。 ルードヴィヒが建設に情熱を燃やしたノイシュバンシュタイン城やヘレンキムゼー城をエリザベートが実際に訪れるシーンがある。その実在の建造物の壮麗さと競うようにビスコンティが作り上げた城内セットの豪華さには、もう<笑う>しかない。これまでにも登場した数々の室内装飾の中でも、本作品において頂点を極めているといっても過言ではない。ある意味無駄なセットや城郭建設にこれだけのお金をかけるビスコンティとルードヴィヒ2世は、究極のデカダンスを地でいっていたのだ。 一種のクーデターにより、官僚たちから精神異常のレッテルを張られ、ベルグ城に幽閉されるルードヴィヒ。ビスコンティは彼を<狂王>ではなく<権力の犠牲者>として描いた。国王としては失格だったのかもしれないが、ワーグナーを庇護し名作『トリスタンとイゾルデ』を完成に導き、世界一美しい城を築いた<メルヘン王>の文化・芸術面における功績は大きい。映画は、湖畔から水死体で引き上げられたルードヴィヒの顔が捜索隊の松明によってオレンジ色に浮かび上がるシーンで終わる。それはまるで最期の舞台に立つ役者に当てられたスポットライトのようだった。 カスタマーレビューピックアップ
昔、岩波ホールで並んで(このような渋い映画に並ぶような時代もあったんですね) 3時間ものあいだ堅い椅子に座って鑑賞しました。しかし、お尻の痛みを後悔させ ない映画であったことは確かです。どう考えてもハリウッドでは、いや ヴィスコンティにしか描けない映画であり、彼の映画を愛する人にとって 永久保存版であることは言うまでも無いです。 イノセント 無修正版 デジタル・ニューマスターカスタマーレビューピックアップ *劇場公開版(修正版)のレビューです 見ている間は辛く、面白いという思いには全くならなかったが 悔しいかな見終わった後にずっしりと心に残る。 フェリーニの作品もそうだが、イタリア映画にはこういったものが多い気がする。 (まあ日本に入ってきて評価されているのがたまたまそうなのかもしれませんが) 見ている間中、主人公たちの俗物ぶりに嫌気がさす。 社会的な身分も経済力もあり、一般人がうらやむような生活をしているのに 俗物さが主人公たちを不幸にしていく。 一般人が、生活のこまごまとした事を相手にしなければならないので むしろ見えてこないだけで、貴族という身分がむしろこうした人間の 愛憎を浮き彫りにしているようにも見えた。 評論家が言うようにビスコンティ自身の貴族に対する憎悪として 描かれているように私も感じた。 カスタマーレビューピックアップ 原作ではトゥリオは自殺なんかせずに生き続けるのだが、ダヌンツィオが描いた主人公が「超人」だとすれば、自殺してしまったヴィスコンティ描くトゥリオは、超人であろうとしつつもかなわなかった自己愛の塊のように見えた。ラストでエルミル邸に招かれたラッフォー公爵夫人が「あなたそのもの」という息苦しくなるようなインテリアでそれを視覚的にも表現しているんだろう。このローマ本邸は母の住むバディオラやリラ荘とは全然違って、時代背景があるにしても、その主の精神が尋常でないことが表れている。 結局トゥリオは超人たらんとしていまだ超人たりえず、内部から崩壊して生き続ける未来の自分に耐えられずに自ら命を絶った、と私は考えたんだが、いかがでしょうか。 ところでヴィスコンティはこの重い映画でも、それ以前はわりに軽いキャリアしかない俳優であるジャンニーニやアントネッリを主役をやらせたり、「山猫」のバート・ランカスター同様、ハリウッドのジェニファー・オニールにイタリア貴族をやらせて、それが見事にはまっているのは、いまさらながら感嘆のほかない。 カスタマーレビューピックアップ 半身不随の上、最悪の体調で撮影にのぞまざるをえなかったため、かねてから映画化に意欲的だったトーマス・マンの「魔の山」をあきらめ、ダヌンツィオの「罪なき者」の制作に乗り替えたという。イタリア人のヴィスコンティが、晩年ドイツにこだわった理由は定かではないが、本作品が遺作となってしまったことはヴィスコンティの本意ではなかったにちがいない。 デジタルリマスター化された映像で見る、貴族たちが身につける衣装や、大豪邸のインテリアなどはまさに他を圧倒している。豪華絢爛という表現がふさわしい衣装を身に着けたラウラ・アントネッリ(青い体験の色っぽいお手伝いさん)やジェニファー・オニールは、きっと幸せだったにちがいない。サロンで開かれるミニコンサートのシーンでは、実際の貴族でもあるヴィスコンティの親族を登場させ、イタリア貴族の生活をこの上なく煌びやかに描いている。 俗流の超人を気取って、傲慢な態度を崩さない無神論者のトゥリオ伯爵(ジャンカルロ・ジャンニーニ)。横暴な夫から愛する人の子供を守るため、赤子に無関心なふりをする妻ジュリアーナ(ラウラ・アントネッリ)の<演技>が痛々しい。映画は、嬰児殺しという重たいテーマを扱ってはいるが、退廃という形容はあてはまらない。トゥリオが選んだ地上での決着も、貴族の最期を飾るにふさわしい華々しいエンディングだった。 カスタマーレビューピックアップ かつて映画の出来や主演であるかどうかに関係なく女優の名前で見に行く時代があった。彼女もその一人。ほとんどB級映画ばかりだったが、イノセントは彼女の最高傑作の一本。美青年好きの巨匠の前で臆せず全てを晒している。青い体験シリーズも良いが、肝心な処はやや薄暗い(それはそれでよいが)。イノセントの彼女の美しさはすごい。しかも明るい処で全てを晒している。大理石のビーナス像のようだ。巨匠の遺作だが、彼女のあまりの美しさに巨匠も人生の最後に宗旨変えしたのではないかとまで思わせる。今の女優さんももう少し見習って動かないカメラの前で白日堂々と見せてほしい。ばら売りになったので星10個。目の下のくまフェチになりました。祝!無修正版。神様と巨匠からの贈り物。 カスタマーレビューピックアップ
主人公が妻の不倫相手にサウナかどこかで出会って、相手の大きさに内心ショックを受ける……という演出がされているのに、日本の劇場公開版ではボカシが入っていて、演出意図が伝わらない、という批評を読んだことがあります。 もし、本当の無修正版なら、快挙です。 作品的には、ヴィスコンティ作品としては、いまひとつ。もっとも他が凄すぎるからでしょうが。 ベニスに死す
特価:¥ 980(税込) 発売日:2007-12-07 売上ランキング:DVDで16058位 ユーザー評価: DVD / 在庫切れ カスタマーレビューピックアップ あまりにも意味のわからないレビューのタイトルで始まってしまいましたが、正直なところこのようにしか本編を形容することができません。 才能ある中年男の禁断の恋。共感する者以外には全く無意味な題材。しかしヴィスコンティ監督の手にかかると、こうした多くの人々にとっては意味の無いエッセンスも価値のある逸品に仕上がってしまうのです。名優ダーク・ボガードの抑えた演技から半端ではない欲望がはみ出していく様子は圧巻。どのようにしてヴィスコンティはこのような演技を引き出すことができるのかいい意味で理解に苦しみます。 アシェンバッハの陰鬱な表情とバックに流れる、この主人公のモデルとなったグスタフ・マーラーによる交響楽との流麗かつ陰惨な一体化。それは放っておくと何時間でも浸っていたくなるデカダンスを伴った快楽。この時点で私ははっとさせられました。このフィルムを見入ることによって、次第に自分もダーク・ボガード扮する男の気持ちに溶け込み同調しているのではないかと。一瞬「そんなことはあり得ない」と当惑する自分。それでもこのフィルムに見入ることは止められません。それどころかさらにフィルム自体の深みに入り込んでしまっている・・・。ベニスの町は中世さながらの退廃的な祭りで沸き立っている。その退廃した空気はホテルにも、街にも、運河にも充満しきっている。加えて、そこに忍び寄る疫病の恐怖。ベニスという街の持つ、中世を引きずるゴシック的不気味さをこれだけ引き出したフィルムがかつてあったでしょうか。ダーク・ボガード扮するアシェンバッハでなくても、こんなところに逗留していたら狂気に陥るのかもしれません。 そしてビョルン・アンデルセン扮する妖艶なタジオです。ギリシャ彫刻然とした完璧ともいえるフォルムを有する少年。すくなくともアシェンバッハにそう思わせた若人。哀れな主人公の自分への恋心を知ってか知らずか少年もまた初老の音楽家を意識します。しかし、どのように意識しているのか。その曖昧な冷たい微笑みは観る者をあざけり、迷わせ、突き放すのです。その存在がベニスの不気味さとあいまって物語は至高の退廃美をじわじわと完成させていくのです。 見終わったあと本編に当初感じた無意味さは、人間が持つ美への願望あるいは欲望といったある意味で大いに検証するに値する心情ととって替わられてしまいました。無意味さが純粋なる価値へと昇華していく。本編で体感したヴィスコンティの魔術とはそんな魔術なのです。 カスタマーレビューピックアップ 全編美しい映画で絵画のような印象を与える傑作です。 中でも主人公を死に誘うようなタジオ=ヴョルン・アンドレセンの美しさと 冷たい仕草が良く話題になりますが、 個人的にはやはり美少年に惑い、最後悲劇的(喜劇的でもある)に死んでいく 音楽家アッシェンバッハ=ダーク・ボガード氏の演技が素晴らしいです。 タジオを見てからの初恋の少年のような戸惑い、思い切って諦める為に ベニスから去ろうとしたものの手違いでベニスに残ることになった時の歓喜(!) 自分の死を自覚した時の絶望…。 ほとんど台詞は無く仕草と顔の表情で表現しているのがすごいです。 この映画そのものはアッシェンバッハの一生涯を追いかけている構成でありまして 所々に挿入される回想シーンでの子供と戯れる父親の彼の姿は その後の人生の残酷さを感じましていつ見ても泣けます。 この映画に出演した後にボガード氏は 「これ以上の演技の出来る映画はないだろう」と語ったそうですが 確かにアッシェンバッハを演じられるのに一生涯分の感情を使われたと思います。 余談ですが、指摘されるまでボガード氏が「地獄に墜ちた勇者ども」の フリードリヒも演じられていたとは気がつきませんでした。 (全然印象が違います) 上映されてから三十数年、 ボガード氏始め出演者の大半は鬼籍に入りベニスも変わりました。 しかしこの映画の美しさはいつまでも変わらないでしょう。 カスタマーレビューピックアップ ゆったりとオーソドックスに、奇を衒うことなく、威風をはらって進行する映画。原作より遥かに優れた作品ではないかしら。原作の方は好きではありませんでしたね。初老の男性が美少年にポ〜っとなるなんて結構ありきたりな現象をネタになんでああも大仰な芸術論が展開されるのかと。ユーモアの片鱗もなく。これがドイツ的重厚ならご勘弁だわと思った記憶があります。 「美の力」がテーマだとか「老い」がテーマだとか、すぐに思いつく屁理屈はいろいろありますが、今回久しぶりに鑑賞して印象に残ったのはタジオ少年がジーっとアッシェンバッハを見返すヤツだということです。少年は何をしてるのか。「品定め」でしょう。アッシェンバッハは美少年に品定めされてゲシュタルト崩壊を起こすんですね。見る側(主体)のつもりが見られる側(客体)でもあるのだという事実に愕然として、髪を染めて白粉を塗る。あれは遠目(タジオ視点)からの効果狙いですから舞台化粧みたいなものです。 アッシェンバッハは「能力で評価される男」として人生過ごしてきた訳です。容姿のみで評価される立場になんて立ったことはない。しかしタジオ少年はアッシェンバッハが有名な音楽家だなんて知りませんから、ただ「見る」ことによって品定めします。高尚な精神活動の世界で一生を過ごした男が自分のありのままの肉体性と対峙させられる悲劇ですね。男性的主体の崩壊というか。可哀想。 文句というのではありませんが、死に方のタイミングが美しすぎるんじゃないかとふと思わなくはないです。現実というのはあの後も人生は続くってことなんじゃないのか、とか、狂気が過ぎ去った後に見える世界の方こそ意味があるのではないか、とかとか考えさせられつつ、自分が「狂気」とか「耽美」というのにあまり萌えない体質らしいと余計な自己発見までしてしまひました。ともあれ、マーラーの音楽と共に非常に堪能させて頂きました。 カスタマーレビューピックアップ
この作品は、何度も再発されてますが、店頭では毎回すぐ売れてしまいます。 何度見ても…また見たくなる。不思議な魅力溢れるのは、やはりタジオ役のビョルン・アンドルセン。少年と青年の境目の年ごろ。 最近、50代になったビョルンの写真をみました。 この作品の彼が、一番輝いていた。だから、もう今となっては銀幕の上でしか お目にかかれません。 ベニスに死すカスタマーレビューピックアップ この映画は恋の美しさを映した詩情豊かな名作中年男と美男子との恋物語 でも最後まで話た りしない見つめ合ってるだけ そこが良い愛の尊さ男は恋を知り己の無力さ、未熟さを思い知る 実は僕も同じ経験をしたことがあるんですもの凄く好きな娘がいたけど結局話もしないまま 終わってしまった だからこの映画は僕にとって苦くも美しい想い出を蘇らせてくれる映画でもあります。 ラストの海のシーンの美しさ 息絶える男彼はベニスに死んだんじゃない恋に死んだんだ カスタマーレビューピックアップ 大学時代に何度となく観たお気に入りの映画の一つです。ビスコンティの映画の中では一番好きです。音楽家のマーラーを題材にしていると思われている方も多いのではないかと思いますが、原作者のトーマス・マンで、彼の自伝です。彼自身がベニスで上流ポーランド人家族に出会い、そのポーランド人家族は気味の悪い?オヤジ(トーマス・マン)に気づいていたそうですが、そこは上流階級の品、トーマスが死ぬまで公言しなかったようです。(結局暴露したんじゃん、と思いますけど。)それを正真正銘の貴族出のビスコンティが豪華絢爛かつ退廃たる映像美で映画化した訳です。(笑)さて、映画の方ですが、老齢で高名なアッシェンバッハ先生はドイツからベニスにバカンスに訪れ、そこで美少年タッジオに出会い、恋をしてしまう訳です。で、、コレラがはやり始めて、感染の危険を顧みず、罹っても尚、老いを隠すために化粧をしてストーカー一歩手前のような感じで、追い求める姿が、ある意味、美しくもあり、醜く、気持ち悪くもあり、とても痛い感じです。今まで正常に生活をし、家族も持ち、金も名誉も自分のものにした老人が、最後に同性の少年に恋をして、死も恐れず、それにのめり込んでいく。恋は盲目というように、恐らく、恋だけはなんともコントロール不可能な厄介な生きる証なのですね。(アランレネ監督の「二十四時間の情事(ヒロシマモナムール)」もそうでしたが、恋こそが命の炎が燃える唯一の存在であると。。。)そして、夏が終わる頃、アッシェンバッハ先生が最後に見たものは、、一度も言葉を交わすことのなかった少年の神々しいまでの美しい姿だったのです。映画に使われたマーラーの交響曲第5番の第4楽章アダージェットは、愛の歌で、映像美と相まって、ゆったりと、その心の美しさを際立たせてくれています。きっと、幸せな死だったのでしょうね。恋して死ねるなんて、なんて贅沢なのでしょう。そして美とは何かと、、人には創れないのではないかと、考えさせられます。美少年タッジオ役ビョルン・ヨーハン・アンドレセンは、ヨーロッパ全土でビスコンティがオーディションをして選ばれたそうで、その美しさは、アッシェンバッハの気持ちが分かる程です。ちなみに、その美少年はこの映画撮影後、映画には興味がないということで学校に戻っています。今更ながら言うのもなんですけど、傑作です。 カスタマーレビューピックアップ マーチン・スコセッチや黒澤のように若い時、感性豊かな名作を創っておきながら、名声を手に入れ、年を取るにつれて酷い作品ばかりになる映画監督は多いが、このルキノ・ビスコンティ監督は全くの逆のケースで、人生の晩年になればなるほど凄みを増してくる。 これは彼が同性愛者としての苦しみがあったことにつきると思う。 人生の晩年に至るまで、満たされない孤独に心が支配されていたのだ。 この飢えた感情がなければ、いくら貴族出身とはいえ、これほどまでの名作は生み出せなかったと思う。 カスタマーレビューピックアップ これはすごい映画。美少年映画としては、身分があるおとなの男性が美少年に狂って破滅するという、森茉莉の小説のような世界が展開しているが、それだけではない。美が天からの授かりものなのか、自分の努力によって作り出すものなのか…なかなか結論を出しにくいところだ。しかし主人公の教授はひとりの少年との出会いによって、自分の努力して作り出してきた芸術をすべて否定されてしまう。少年は、努力なしに、美そのものとして存在したからだ。そして彼の美に教授は狂ったように執着し、ついには破滅してしまう。美そのものである少年と、少年の関心を得ようと醜く足掻く老教授。美醜を完璧に対比させ、ところどころに生老病死を喚起させる人やモノを挟むことで、誰しも滅びからは逃れられないこと、そして、それを知っているが故に芸術としての美を追い求めていく…そんなメッセージも読み取れてしまいそうな気がする。 カスタマーレビューピックアップ
旅先で見かけた人に、ふと心惹かれて目で追ってしまったり…。もし、あのとき声をかけていたら?アッシェンバッハにしても、有名作曲家(原作では作家)という肩書きがあるのだから、大人の知恵を使って、タジオ一家とお近づきになることもできたろうに、彼はそんな悪知恵が働くほど、フレキシブルに生きられる男ではなかった。分別や理性、努力こそ「美」であると信じ込んでいる彼の前に、何の努力もなく、生まれながらに美しいタジオが現れ、彼は「美」を根底から覆される。タジオは彼を美へと誘う天使だったのか、彼を死へと誘う悪魔だったのか…? 家族の肖像 デジタル・リマスター 無修正完全版カスタマーレビューピックアップ ともかくモーツァルトの哀しみを湛えた協奏交響曲変ホ長調K.364の第2楽章が美しく。あぁ、モーツァルトって、こんなにもセンシティヴな曲を作曲された人だったんだなぁと、映画を見終わったときに思った、18歳。 イヴァ・ザニッキの『心遥かに』のなんと官能的なことか。 18歳には、この音楽を持ってくるヴィスコンティという監督の凄さに声も出ず。 心静かに生きる老紳士(バート・ランカスター)と不躾なシルヴィアーナ・マンガーノの愛人の若者(ヘルムート・バーガー)が音楽談義を通じて心通わせていくシーンが脳裏に焼き付いています。 しかし、老いゆく者が若者に心を開いても、若者には老人の心は通じることはなく。 ともかく、10年に一度くらい、ああ見たいと思う映画史上に残る至上の傑作に違いはない。 カスタマーレビューピックアップ 本当にものがなしい映画です。 だけど、どうしようもない悲しみにうちひしがれたとしても 世間への接点を絶って、絵の中の人物と会話する生活よりもマシだと 教授は最期に思ったのではないかと。 美しく溌剌とした若者たち、いままでの自分の常識の範囲外の人間と接することにより 教授の閉ざされた堅い魂は、じょじょに解きほぐされていく快感を感じ、同時に、 すでに老いてしまった自分自身への憐憫や焦り、またそれに対する悟り・覚悟を どうにもならない寂しさで見つめているのです。 個性的な若者たちもとてもステキです。 私がこの映画をはじめてみたのは高校生の頃ですが どんなにリエッタのようになりたいと願ったことか。無理ですが! よく言われる、教授=ビスコンティ コンラッド=H・バーガー という話ですが そういう気持ちを入れて撮ったと思えばそうだし、そうじゃないと思えば違います。 ようするに映画は、監督がどんな思い入れで撮ったにせよ、受け取り手がどう感じるか それに尽きます。 私は、どうしてかそう思いたくない。 まあ、色々と言われていることもあるけれど。。 とても悲しいけど、繰り返し反芻して観ると何故か心休まる映画です。 音楽もいいです。サントラ、廃盤なんですね。残念。 カスタマーレビューピックアップ 見せ方は相変わらずの貫禄と品格にあふれていて堪能出来ますが、しかしこれはヘンな話だなぁ。この話にはヴィスコンティ監督の願望がかなり入ってませんかしら?ここに登場する馬鹿な若者たちと老インテリの間に何が存在しえると思いますか?「何も存在しえない」ですよ。なんの関係性も成立しえない、というのが真実でしょう。ヘルムート・バーガー演じる青年と教授との間にも何も生じえないのです。現実ならば。若者たちは老教授に興味を持ったり懐いてきたりなんて絶対に絶対にしないのです。仮に老教授が彼らと関係を持ちたいと思ったにしても、自分を崩さずにそれをすることは不可能なんです。老教授は威厳を保ったままで、若者たちの方からやたらめったらすり寄って来るなんて、都合の良いファンタジーもいいところではないかしら。ヴィスコンティ監督は危険な香りのする金髪の美青年に「あなたなら分かってくれると思って…」とかとか言って欲しかったのか?金髪の美青年に選ばれる老人になりたかったのか?ヴィスコンティ監督の若さと美貌への物欲し気な視線がエロチックでもあり物悲しくもある映画。バート・ランカスターがカッコイイです。 カスタマーレビューピックアップ 「ルードウィッヒ」を撮り終えた後、病に倒れたヴィスコンティの復帰第一作目である。老教授の孤独を描いたという点では、ベルイマンの「野いちご」とのいくつかの共通項を発見できる。本作品の中で、人間関係のわずらわしさを嫌い、自分の殻に閉じこもるエゴイストを演じているのが、元祖マッチョマンのバート・ランカスターだ。「山猫」以来のヴィスコンティ作品出演となるバートの演技は、汗臭さがすっかり消え枯山水の趣を漂わせている。 「野いちご」の老教授イーサクは神の許しを得て束の間の幸福を得るが、本作品の教授が迎える結末はもっと残酷でかつ現実的だ。そもそも、許すとか許さないとか言っているうちは、その人の心の中にエゴがまだ残っている証拠であり、静かで平穏な教授の家に押しかけ大騒動を起こす無礼な一家を「家族と思えばいい」と言い切る心境は、もはや悟りの境地に達している。 間貸した部屋を歩き回る靴音や、床や壁をこわす騒音、そして道徳心のかけらもない若者たちがかける音楽も、モーツァルトを聴きながら生きる屍のような生活をしている教授にとっては、久々に生を感じさせてくれる家族のいとなみだったのだ。だからこそ、無礼な金持一家の騒音を聞くたびに、教授の心に懐かしい家族の思い出が蘇ったのだろう。 しかし、人生は皮肉なもの。せっかく自分の胸中を告げたその場所で、血のつながっていない家族は一気に崩壊し、教授の元から立ち去ってしまう。再び訪れた深く残酷な孤独に耐えられる力は、この老教授にはもはや残っていなかったにちがいない。 カスタマーレビューピックアップ
ヴィスコンティ作品の中では、時代設定も近代で色使いも明るいイメージ。ヘルムート・バーガーも『地獄に堕ちた勇者ども』に比べると、髪の色も金髪で美男ぶりが際立っています。映画上映の当時は、娯楽大作しか観ていなかった私には、難解で地味な記憶しかありませんでしたが、ビデオを買って(高かった・・)じっくりその耽美な世界に迷い込みました。デジタル・リマスターされるということで、画像の美しさを楽しみにしています。DVDのヴィスコンティ作品は『ベニスに死す』『地獄に・・・』に続いて3作目の購入になります。あとは『イノセント』を買えば、私の好きなヴィスコンティ作品、イイ男シリーズは完全収集完了です。 地獄に堕ちた勇者どもカスタマーレビューピックアップ ある一族の柱たる家長がいなくなることで、崩壊する家族。その崩壊と反対に成長するナチス。この相反するベクトルが理解できるとあとは枝葉末節です。 一度で理解できない方が多いと思います。それはナチスの形成過程(権力掌握過程)をご存知ないからでしょう。一度簡単に調べてからもう一度ご覧になるとわかりやすいと思います。 あと主役は、ヘルムート・バーガーではありません。ダーグ・ボガードとイングリッド・チューリンです。この二人がこの家族の最後のプライドを象徴しているのだと思います。そしてヘルムート・バーガーの最後のシーン、家族の崩壊の中でナチスに取り込まれてしまいました。ここは三島由紀夫氏の戯曲「わが友ヒットラー」の最後の台詞、すなわち右翼化しながらも「右も左も切り捨てる、中庸が一番」と言うような台詞に重なるようなまさにアイロニーなシーンでしょう。この映画に関しては他の方の投稿がほとんど的を得ているので、簡単に推薦の言葉をまとめてみました。家族の崩壊は食事のときのテーブルにすわる人数の減少で表現されます。一家を支えようとする意思のない人間たちの集団ではばらばらに散ってしまいます。逆にナチスは求心力を高めるためにいろいろなことを裏で行なっているのです。タイトルの「地獄に堕ちた」のはこの家族とナチス両方ですが「勇者」ということでこの家族が中心に描かれるのです。最後にナチスは共産主義打破が1つのテーマでした。その意味でこの家族と本来的に相反することはないのです。この大いなる矛盾を、淡々と豪華な映像でつむぎだしてくれる監督には賞賛の言葉しかございません。撮影シーンが特典映像で9分間ついてますよ。これは意外とラッキー。 カスタマーレビューピックアップ 1969年制作 イタリア=スイス 157分 一言でいいますと、ナチス台頭時代のドイツの貴族の一家の大河ドラマ 歴史的背景から言いますと、1933年ヒットラーがSS(親衛隊)によってSA(突撃隊)を粛正させた事件の映画化だから、シュマイザーMP40が登場するのは考証にあわない。ってこな事はどうでも良いのですが、主人公はフリードリッヒ(ダーク・ボガード)ではなく、どう考えてもマーティン(ヘルムート・バーガー)でしょう。 変態鬼畜野郎たちの晩餐会と言った感じで「羊たちの沈黙」や「ハンニバル」なんて片手でぶち抜く凄さ人間の業の深さを描いています。 まさに邦題の「地獄に堕ちた勇者ども」ぴったりですね。 1969年当時の古さを全く感じさせない映画ですね。 心臓の弱い人や、人並みの道徳心がある方にはお勧めできません。 カスタマーレビューピックアップ
戦後25年。かつて反ファシズム・プロパガンダ映画を撮った作家も老境に差し掛かり昔日のおもいで時の社会を眺めていたのだろうか?戦争は終わった。「栄光の日々」は去った。経済成長は過去を夢想することを風景から奪ってしまった。時代錯誤への思わせぶりな仕草である。死への誘惑、美への憧憬、退廃への耽溺。絵に描いたような没落。これを崩壊の美学としたい願望のフィルムと名指すのは実に容易い。しかしいささか胡散臭くみえてしまう陰謀と倒錯そして殺戮と復讐のドラマではある。ナチズムを狂気としてひとまず括ってしまえば、この過去への眼差しの意味には口出しされまい。失われたときを求めて。そんな疑りもかすめる。いっぽうで激化する社会。急進化する左翼。この現実は戦後社会の変容の果てにとりあえず辿り着いた仮の世界、それも偽りの世界にすぎない、としておこう。そんな呟きも聞こえる。「地獄に堕ちた勇者ども」・・・過去の栄光。華麗なる舞台。オペラの輝き。そんな時代がかった大芝居も時代錯誤の大家として振舞うことで許容されたのだろう。そんな役回りへの周囲の期待に応えてみせたのか。それから早や30年以上。信じがたい時間の経過である。懐かしさなしにはこんなフィルムを今見ることは難しい。 地獄に堕ちた勇者どもカスタマーレビューピックアップ 栄枯盛衰、権謀術数、眉目秀麗…巨匠ヴィスコンティの巨匠たるエッセンスがぶっこまれてますねー。 何が凄いって「またのらりくらりしてるなー」と思って観るうち、気がついたらどうしようもなく盛り上がっちゃってるところはやっぱり天才かなとか… あと綺麗な男の子たちが女装して踊った次の朝皆殺しになっちゃう虚しい装飾と侘しい汗と鮮血。 そして招かれざる客。 あと血の呪縛→歪んだ性愛→狂気ってとこかねとりあえず。 Hitler hairdoが似合ってしまうHelmut Bergerは気持ち悪いくらい綺麗ですね。裸も良いね。裸足も良いね。 序盤キャラの把握が難しかったけど、イノセント等同監督の別作品とはまた別の緊張感にみなぎってて、結構、引き摺られるようにして観た。 大体19世紀とかじゃないからね。第2次世界大戦直前ですか。重さのタイプが違うよね。 カスタマーレビューピックアップ とにかく圧倒的に面白い。映画は上流階級の人々の贅沢三昧の暮らしぶりをみせて始まる。だがほどなく分かるそのすさまじいまでの異常さ。女装趣味で、幼児性愛の男あり、その男のこれまた常ならぬ母あり、その母の常ならぬ恋人あり。そして極めつけはその母と息子の関係。目を背けたくなるような異常な人々の異常な生活の断面がこの映画を埋め尽くす。その地獄ぶりは、私の頭にある貧しく、みみっちい地獄よりも何倍も恐ろしく、その描き方は震えがくるほどリアルで美しい。チューリンの最期のシーンの「死に化粧」した顔が1週間くらい夢にでてきて悩まされた。これだけのとんでもない映画にはそうそうお目にかかれないだろう。映画がある意味、常ならぬ物だった時代が懐かしい。 カスタマーレビューピックアップ 実はこの作品は長らく知ってはいたけどかなり最近まで見たことがなかった。 それで、ヘルムート・バーガーの女装=マレーネ・ディートリッヒのパロディ、 が非常に有名だったことや、ヴィスコンティのドイツ三部作の一つだったことなど、 前知識ばかり無駄に増えてから観た。 それがいけなかったのかもしれない。 演技がそれを超えているのは、ダーク・ボガードと、 カスタマーレビューピックアップ とにかくタイトルにやられた。勿論本当はこのタイトルではない。付けた人はものすごく偉い!!!映画史に残る名タイトルだ。 世界観は『退廃』がテーマなので、観ていて退屈なのは当然なのだ。本物の貴族はあまりにも恵まれているために、生きることに退屈しているんですな。なので歴史にも残っているように、どんどんアブノーマルな行動へと欲望を向けてしまう。ヘルムートバーガーの変態演技はなかなかの見物。監督が「君のその全てを知っているような目がいい」と口説いて出演させたシャーロット・ランプリングの存在感もいい。 カスタマーレビューピックアップ
絶対にビデオで見るべきでない映画というものがありますが、ビスコンティの作品はその最たるものといえるでしょう。特にこの作品のように、舞台劇的な要素の強い(アクションや編集の妙で見せるのでなく、あくまでも演技で勝負する)作品は、その空気に上手く乗り切れないと、観ている方は非常にダレてしまいます。以前ビデオ版を試したことがありましたが,映像が汚くて観ちゃいられませんでした。その点、劇場で観るほどの臨場感は望めないにせよ、DVDでの復活はうれしい限りです。 それにしても毒のある作品ですねえ。もうあまりに毒が強過ぎて、分からない人にはまるで分からないと言う可能性さえあるでしょう。一つの文化の崩壊を描いた作品として、近年"アメリカン・ビュティー”がありましたが、この作品に比べると軽い軽い。何やらただならぬ妖気に満ちあふれた映画です、しかしながら、私は"退廃美”とか、"狂気と倒錯”といった言葉のみに惹かれてこの作品を見た人はむしろその本質を見失うのではないかと危惧してしまいます。 この作品はヨーロッパ文明の崩壊を象徴的に描いた作品ですが、その近代ヨーロッパ文明の礎を築いたルネサンスを強力に推進したプロモーターは、ほかならぬビスコンティ家だったのです。それから約500年後、この家系の末裔、ルキノがその終焉をみとることになろうとはー。彼にとってこの作品を作るということは、"退廃の美"などと言う生易しいものではなく、"痛恨の極み"そのものだったのはないでしょうか。その運命も凄まじいが、それを敢然と受けて立ち、芸術へと昇華してしまう彼のエネルギーもまた凄まじい。まさに刮目して観るべき作品だと思います。 地獄に堕ちた勇者ども
特価:¥ 980(税込) 発売日:2007-12-07 売上ランキング:DVDで5961位 ユーザー評価: DVD / 在庫切れ カスタマーレビューピックアップ なんというか「やはりビスコンティやな」っと思わせてしまう重厚さでした。ヒトラーが台頭する虚虚実実の駆け引きの流れを知っていないとこの映画の面白さは半減するかもしれません。なぜナチス同士が殺しあうのか?って途中で訳が分からなくなる人もいるでしょうから。この事件で唯一ヒトラーを「おい」って呼べた同士(突撃隊のレーム)を抹殺してしまうことになります。まあこれで誰も気兼ねする人はいなくなったわけです。ドイツ人の映画のはずが英語ですし、スウエーデンの大女優イングリッド・チューリンからイギリスのシャーロット・ランプリング(この人この手の映画よく出ますね)、青年はフランスのルノー・ベルレーでしょうか??俳優さんは盛り沢山です。ラストシーンは狂気ムンムンですね。ビスコンティはナチスを狂気と見たのでしょうか? カスタマーレビューピックアップ
今、こんなにこの名作が安価に手に入るのかとしみじみ。 内容は文句ありません。 貴族で大財閥のエッセンベック家が内紛を利用されてナチに乗っ取られるという話ですが 内容は毒満載で優美ですらあります。 特に財閥を冷徹に見据え乗っ取りを企てる親衛隊長アッシェンバッハ(ヘルムート・グリーム)。 映画を結構見てきた自分ですがここまで美しくも恐い親衛隊の将校を見たことがありません。 風光明媚な湖畔でドンチャン騒ぎのパーティの後親衛隊に殺される突撃隊。 主人公の財閥御曹司で生きる目的のない爪弾き者のマルティンが アッシェンバッハにそそのかされ母親と愛人を陥れて財閥の乗っ取りを図る事。 この全ての後ろに彼の姿があります。 貴族の家名の影で薄汚いことばかりをしている親族を見続けたマルティンにとって ビシっと制服に身を包み落ち着き払っているアッシェンバッハは 頼もしい父代わりに見えたのかもしれません。 そしてマルティンもあのナチの制服を着ることになるのです。 母に強いられた女装に別れを告げて・・・。 さていつもは冷徹に静かなアッシェンバッハが唯一狼狽したシーン。 その時に表れた登場人物の言葉が歴史と時代の流れの中で何が大切なのかを教えてくれます。 珍しくナチスが上り坂の時代を題材にした映画。 デカダンに満ちあふれた長編です。 興味をもたれた方は是非観てください。 ちなみに何故か音声は英語です(笑)。 ベニスに死す
特価:¥ 980(税込) 発売日:2006-11-03 売上ランキング:DVDで40093位 ユーザー評価: DVD / 在庫切れ カスタマーレビューピックアップ ベニスという土地柄、ここを舞台としている映画はいくつかある。 ジョージ・ロイ・ヒルの「リトル・ロマンス」デビッド・リーンの「旅情」、ジェームズ・アイボリーの「眺めのいい部屋」等々、名作も多い。 「ベニスに死す」はそうした中でも別格の作品だ。 原作は「魔の山」の文豪、トーマス・マン、監督はルキノ・ビスコンティ。 主人公アッシェンバッハのモデルとなったのは作曲家グスタフ・マーラーで、テーマ音楽にも彼の交響曲第5番、第四楽章が使われている。作品世界の重厚さは紛れもなくビスコンティ・ワールド、彼にしか創り得ない映画だ。 主役にダーク・ボガード、シルバーナ・マンガーノを脇に配し、ビョルン・アンドルセンが美少年タジオ役で衝撃のデビューを飾った。(アンドルセンは後に死亡、映画出演は本作のみ) 老い、迫る死への恐れ、若さへの渇望、そして、、、。グスタフの姿はどこかでビスコンティに重なる。 タジオ少年に同伴する母親に取り入ろうとコアフュールで若造りをする姿は、彼がさげすんでいた道化者のよう、それが死化粧となってしまう皮肉、熱と汗で溶出したマスカラが顔面を這い、退廃の極みのような死にざまはいかにも凄絶でビスコンティ好みだ。 ビスコンティ作品は、私にとって好きとか嫌いとか言うレベルを超えている。 その完成度の高さは今更言うに及ばない。そんな彼の作品群の中でも屈指の名作、いずまいを正して、じっくりと対峙、鑑賞したい。 カスタマーレビューピックアップ 冒頭からマーラーの5番が流れてきて、まだ青いバックに字しかでてきてないのに胸がぐっと詰まる。 もう一回再生しなおして音楽に浸っているとその青いバックがベニスの夕闇の空に変わってゆく。船からたなびいた煙が水平にはしって、カメラはその煙を追いかけながら船上へズームしてゆく。 惚れぼれするような、出だし。 何故だか私は美しい少年と老いた作曲家の恋と裏切りの話だとおおきく勘違いしていたのだけれど、もっと深遠な、芸術とはなにか、美とは?老いとは?というようなことが胸に湧き上がり、迫る映画だった。 ヴィスコンティはとにかく絢爛な舞台装置のひと、という印象が強かったのだけれど、舞台となったこのホテルはこの撮影のために建てられたものだそう。なんて、贅沢な。 調度品や衣装も時代に寄せて作られたらしい。 特に海辺にたたずむ婦人たちの、顔隠しのレースのついた帽子や、母親役のシルヴァーナ・マンガノの淡いグレーピンクのドレスとか、とても綺麗だった。 なにかでもともとヴィスコンティは衣装に携わっていたことを知って、あのこだわりにも納得。 「美とは努力の末に創りだすもの」という信念を持ち、その上に自分の存在意義を見出そうとするグスタフ(グスタフってやっぱりこのモデルはマーラー?)。 だけどこのホテルで「ただそこに存在する美」である少年に出会ってしまう。 自分の追い求めていたものが覆されるその衝撃よりも、グスタフはその美しさに魅了されてしまう。 追い求めるってこういうことだなあ、と思う。 構築して構築して、だけどあっというまにそれを上回るなにかに打ち崩されてしまう。 でもそのときの喜びったら、ないような気がする。 たぶんグスタフが少年を執拗なまでに追い求めたのは単なる恋心のようなものではなくて、長年こころを寄せ、尽くし、ゆだねてきた芸術(ということばにするとなんだかなあ、だけど)とか生きてきた意味、みたいなものをすべて、この少年の美しさが凌駕してしまったからなのではないかな。 少年の微笑みはちょっと誘うようでもあるんだけど、でも否定的な冷たさじゃない。 凌駕だけど否定じゃない。 だからグスタフは今までの自分の音楽へのあり方について、考えることになるんじゃないかな。 グスタフがかなしいまでに執拗に追い続けたのはかたちとしては少年だけど、自分が追い求めてきたなにかなんだと思う。 最後の方はもうはじめの渋いグスタフは影を完全にひそめて、見ている私が、そんなんじゃ美少年くんに嫌われちゃうよ、とはらはらさせられるくらいの風貌と行動だった。 でもそれでもおいかけたかった。 最後のシーン、あんまりうつくしくて、苦しいぐらいだった。 グスタフはぜんぜんうつくしくない。でも、グスタフがみてるものは比類なくうつくしいもので、最期のさいごに彼がそこに手を伸ばせたということが、ほんとうによかった。 ビョルン・アンドレセンはとても綺麗だった。 天使が間違って成長してしまったみたい。 だけど手を後ろに組んで歩く姿は、グスタフの頑なさに通ずるのではないかな、とちょっと感じた。 絵のように綺麗な顔だけれど体つきは子供でも大人でもない不完全さで、それは美しい不完全さともまた違ったように私は感じた。頼りないような、青すぎるような。 多分一瞬のその時間をグスタフが愛したのは分かるような気がする。 シルヴァーノ・マンガノは『アポロンの地獄』で彫刻のように綺麗なひとだ、と思っていたけれど、やっぱり人間離れした雰囲気を持っている。 このお母さんと少年と家族はポーランド人という設定だったらしいんだけど、どういうわけかこのひとたちの会話には字幕が付いていなくて、それがよけいに触れられないなにかを醸しだしていてよかった。 ただ実際はこの映画を見たヨーロッパのひとたちはポーランド語がわかるひとも多いのだろうから、また違う楽しみ方ができるんだろうな。 ダーク・ボガードの微妙な表情の変化もよかった。 ベネチアに帰らざるを得なくなった、あのときのにやけ顔は、可愛らしかった。 私は、伝染病がこの街に蔓延している、というのは死期を間近にしたグスタフの妄想かと思っていた。 心臓が弱かったというのと、美を追い求めるために燃やしすぎて命を落としたのだろうと思っていたけれど、どうやら、本当に伝染病にかかってしまったという話だったみたい。 いや、でも私の中では伝染病は妄想だということにしておこう。 少年がそこから逃れると知ったとき、老いた自分はその病のなかに置き去りにされ、手折られる。 カスタマーレビューピックアップ マーラー第5交響曲第4楽章アダージョが流れる中、主人公グスタフ・アッシェンバッハ(ダーク・ボガート)の乗った汽船が朝靄のたちこめるベネチアに入港する・・・。モネの「日の出の印象」を見ているかのようなこの冒頭の絵画的シーンによって、観客は美しくもどこか退廃的なヴィスコンティの世界に引きずり込まれていく。 トーマス・マンの原作では小説家だった主人公が、作家の意図を汲み、映画の中ではよりグスタフ・マーラーその人に近い作曲家兼指揮者に置き換えられている。写真をみると、映画の中のアッシェンバッハが、かなりマーラーのそっくりさんなのがわかる。 美を制御することを主張するアッシェンバッハではあったが、ベネチア(正確にはリド島)でポーランド人一家の少年タジオを見たとたん、その完全な美の虜となってしまう。ホテル内でタジオを見かける度にドギマギするアッシェンバッハは、映画を観ていると情けなくなるぐらい哀れでしかも醜い。 ヴィスコンティはその醜さに追い討ちをかけるように、老マエストロに死化粧を施す。リドの海辺にたたずむタジオを、浜辺から見つめるアッシェンバッハの額から白髪染が溶けて混ざった黒い汗が醜く滴り落ちる。逆光を浴びながらタジオが指差した先は、天国だったのか地獄だったのか。その答えは、美をひたすら追い求めて息絶えた主人公にしかわからない。 カスタマーレビューピックアップ 昔テレビで見た作品ですが、値段のあまりの安さに引かれて購入しました。二度ほど見ましたが、驚きました。何度も見るに値する映画です。と同時にほとんど会話らしい会話はなく、出てくる会話自体も発展することはなく、その役割はいくつもの小道具とヴェニスの風景にまかされております。この小道具の象徴とアレゴリオとしての使用はとてもすべて解読できるものではありません。したがっていろいろなモティーフを視聴者が作品に思い思いに投影して想像できるわけです。その作業ができない受け手にとってはただのストーカーの話になってしまいます。私にとっては主人公はマーラーとディアギレフの両者を具現した存在です。外見はディアギレフそっくりといっていいのではないでしょうか。ディアギレフ自身、トーマス・マンのこの作品を読んでおり、そのストーリーをなぞるように男性の取り巻きをつれて、ヴェニスのこのホテルで客死しているほどですから。そしてタディオは私にとってはbalthusです。balthusの少年時代の写真を見てください。もっともbalthusはあくまでも自称ポーランド貴族の末裔ですが。 カスタマーレビューピックアップ
ベネチアの美しい街並みを表現したキャメラのカットなど、 確かに素晴らしいとは思うが、終始退屈で 観ていて眠たくなってしまった。 映画に何を求めるかによって、この作品の評価は分かれると思うが 私は映画の大部分に、芸術性を求めている人間ではないのでこの 評価としました。 |
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