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Amazon人気商品ランキング/AfricanpsWorksはAmazon.co.jpの提携サイトです。代金確認、及び商品の発送はAmazon.co.jpが行います。 1500円以上のお買い上げで国内配送料無料!! 中古価格が表示されている商品は[商品詳細]ページでご購入頂けます。 商品総数:1855/総ページ数:186 最終更新日:2008/09/07 Things Fall Apartカスタマーレビューピックアップ 文体の格調の高さ、内容の重みや厚さといったことを求める人には評価されない作品だと思います。ただ単にストーリー展開の楽しさを求める人には絶賛されるでしょう。あまり深く考えないで読めば、かなり楽しめる作品です。 私はまた非常に読むことを推薦する--The Fates by Tino Georgiou! カスタマーレビューピックアップ 昔昔、白人がやってくる前のアフリカのある村でのできごと 村では、決して平穏とばかりはいえないけれど、昔ながらの神様を信仰し、部族の習慣を守った生活をおくっている。 そこに白人がやってくる。まず、宣教師、それから・・・ 村にどのようにキリスト教が入ってきたか、村人たちの反応はどうだったのか、どのように白人の支配が始まるのかが非常に興味深く読めた。 もちろん、すべての村がこのように支配されたわけではないのだろうが、ひとつの典型を示していると思う。 キリスト教、あるいは西洋社会がどのように世界に広がったかをしる貴重な手がかりを提供してくれる。 カスタマーレビューピックアップ This was one of the first books in African literature that I read and I was not disappointed. It is amazing. The larger than life character of Okonkwo is reduced to disillusioned man because he could not adapt to the changing times. The big lesson is that we should never attempt to have control of everything beyond ourselves. Also recommended: DISCIPLES OF FORTUNE , TRIPLE AGENT DOUBLE CROSS, THE UNION MOUJIK カスタマーレビューピックアップ Okonkwo epitomized a die-hard African traditionalist with a firm conviction in the destiny of his people, yet a man who failed to accept the inevitable changes in his world. Things fall apart exposes us to the culture of the Ibo people of Nigeria and brings out the characters to the understandable to the reader. In our own little ways, we are like Okonkwo, caught in a world where we have little influence. The lesson is that No matter how powerful we are, we should not impose our wills on others, especially a will that reflects our egos and not the interest of humanity. Clash of cultures is what this book tells us about. Just like in The Usurper and Other Stories. Also recommended: The Usurper and Other Stories, Mission to kala, The Old man and the Medal, Disciples of Fortune カスタマーレビューピックアップ
この本のタイトル、Things Fall Apartはアイルランドの詩人W.B.Yeatsの作品、The Second Comingの一説から取られた物だ。この詩はキリスト教徒の信じるキリストの再臨、(The Second Coming)により世の中は崩壊していく、といった内容だ。作者のAchebeはこのYeatsの詩の意味をうまく利用したといえると思う。この話はアフリカ、ナイジェリアの村で展開される。戦争嫌いで、人生の敗者といわれるウノカを父親に持ったオコンクウォは、父親と同じ弱者と思われることだけは耐えられないと自ら名声を勝ち取り、若くして近隣の村に知れ渡るほどの男になった。そして偉大な男にふさわしく、妻も3人娶り、子供ももうける。妻、子供、隣村から平和維持のための犠牲に人質として連れてこられた少年イケメフナ、等との生活を通して、"弱さ"を頑なに拒みながらオコンクウォは人生を送ってゆく。不慮の事故で起こった殺人に対する冤罪で7年間、それまでの暮らしを築いてきたのウムオフィア村を離れる事ち㡊ªったオコンクウォ。故郷のムバンタでは村人の協力も受けながら無事に生計を立てて生活していくがそこに全く新しい人々、キリスト教徒が入り、村の様子がだんだんと変化していく。男の精神、魂、今まで守りつづけてきた伝統を守るべく、キリスト教徒を追放しようと必死に抵抗するオコンクウォだが村人の気持ちはすでに新しいその文化へと移り始めていた… 上にも書いたように、詩の中ではキリストの再臨によって世界が破滅する、というテーマだったのを、アフリカでは初めてのキリスト教の登場によってそれまでの生活がくずれてゆく…というテーマに使う事で皮肉を感じさせている。時代は少し古く、またなじみがないアフリカの話のため、聞きなれない習慣や慣わしが登場するが、それらを通してその文化の価値観等もだんだんと見えてくる。ウノカを父親に持った運命のオコンクウォの私的な葛藤と文化全体での衝突、葛藤を描く作品。と書くと、かなり思いテーマのようだが、実際読むときは小説として軽く読める本。 Waiting for the Barbarians (Penguin Great Books of the 20th Century)カスタマーレビューピックアップ 「夷狄が襲来してくる」といって警戒し続け、しかし物語中、夷狄は実際には襲来してこない。 このシチュエーションはブッツァーティの「タタール人の砂漠」に通じるところがあるが、タタール人が孤独の静かな狂気に陥っていくのに対して、この作品は暴力、全体の狂気が現れてくる。 注目するところは、軍によって行われる暴力、「私」の夷狄の女性に対するねじくれた感情などいろいろあるのだが、ここであえて「歴史と記憶」について。 「私」は遺跡を掘り返し、過去そこに生きてきた人々と声ならぬ対話をする。 最後に年代記を書こうと考えるのも、未来に自分の骸を見つけた誰かに語りかけたいという思いがあるからだ。 人と肉体的に交わるのは、性行為も暴力も実は同じで、誰か自分以外の人に、自分を刻みつけたいという思いからだろう。 それは「私」の、歴史に名を残したいという願いと、根本的につながっている。 たぶん人は、自分が世界にも他人にも、なんの足跡も残さずに去ることが怖い。 老人「私」は、始終驚き続けている。 気がついたらいつの間にか事件のど真ん中にいて、老人はなぜ自分がこんなことになってしまったのか、わかっていない。そして読む私たちもわからない。 きっと人の歴史ってこんなものなのだろう。 事件はほんの数年の出来事だが、その視野には何百年という「人間の歴史」がつまっている。 なんともいえぬ、不思議な読後感。とりあえずは一読。 カスタマーレビューピックアップ なぜか『恥辱』にはピンと来なかったので、 食わず嫌いになっていたクッツェーだが、 どこかカルヴィーノやカフカを連想させるこの作品は、 自然描写の美しさに惹かれてスラスラと読んでしまった。 ただし、本書とその20年後に書かれた『恥辱』は、 設定こそ大幅に異なっているものの、 自らの老醜(とくに体型)を自覚している男が、 若い女への執着を機に地位を失って一気に転落し、 肉体的な暴力によって屈辱を嘗めるという筋だけを見れば、 殆ど瓜二つと言ってもいいほどに似通ってもいる。 理不尽な暴力によって、癒し難い恥辱を与えられるという体験を 繰り返し描いているところをみると、 ついついクッツェー本人の幼少期にも 同様の体験があったのではないかと勘繰りたくなるのだが、 (未読の『少年時代』に詳しく書いてあるのだろうか?) 実を言えば、拷問の凄まじさは予想していたほどではなかったし、 主人公が夜ごとに夷狄の娘の肉体を弄びながら、 行為には及ぶことなく眠り込んでしまうという、 谷崎の「眠れる美女」を逆転させたような場面にしても、 気持ち悪いというよりは、むしろファンタジックな印象のほうが強い。 「後味の悪さ」を残す作風ということでは やはり『恥辱』のほうが遥かに上なのかもしれず、 そのあたりが☆4つにとどめた理由でもある。 ちなみに、邦訳タイトルには多少の違和感を覚えた。 「夷狄」という古めかしい漢語をあえて使ったのは、 むろん、『ゴドーを待ちながら』を念頭に置いてのことだろうが、 文語ゆえにどこか実感に乏しいことは否めず、 "barbarians"という原語に籠められていたはずの 差別-被差別の問題が、完全に捨象されてしまう気がする。 そもそも、"godot"と"barbarians"では音節数が違うのだから、 邦訳でも無理に合わせる必要はなく、「野蛮人」でまずければ 「蛮族」あたりでも良かったのではないか。 カスタマーレビューピックアップ This is one of the deepest and mind seacrhing books I have read. The author touched the soul of man in today's world where good is always in conflict with evil, starting with ourselves and the general society in which we live.It reminded me of Disciples of Fortune by janvier Tisi Also recommended: THE UNION MOUJIK, AGE OF IRON, BOYHOOD カスタマーレビューピックアップ Waiting for the Barbarians is a fascinating story about a magistrate working for a dysfunctional and corrupt colonial empire that borders on the outskirts of the modern world.. With deep political undertones Coetzee's tale of man against a corrupting society where rebellion and personal redemption are inevitable is what makes this story so full of enlightenment and secured its place as one of the greatest classic stories of the twentieth century. Not easy to relate to, this story nevertheless succinctly confronts the conflicts of positive and negative traits which we all have to confront to become really human in life . This conflict in our souls which are man's unavoidable dilemmas has perhaps been best exposed Coetzee and Dostoyevsky. A highly recommended book. Also recommended are THE USURPER AND OTHER STORIES, DISCIPLES OF FORTUNE, THE UNION MOUJIK, THE IDIOT カスタマーレビューピックアップ
集英社ギャラリー[世界の文学]第20巻に収録されていた作品でしたが、このたび独立した文庫本として発売されることになりました。 帝国に支配される辺境の町。そして遠方から移動してくる姿の見えない夷狄。この構図は、古代ギリシアのポリスに対するbarbaroi、古代ローマに対するgalliを連想させに充分であり、原題Waiting for the barbariansからも、作者の古典に対する意図は充分伺われると思います。 とある時代、とある場所の帝国が舞台。主人公は初老の民政官である私。そこへ帝国の治安警察の将校が視察にやって来ます。最重要部門第三局に所属するサディストのジョル大佐、彼は、辺境の夷狄との戦争が始まるのだと言います。反発する私。ふたりの対立を軸に、ジョル大佐の遠征、捕虜の連行、果てしない暴行が繰り広げられ、私は連れて来られ盲にされた女と奇妙な関係を持つに至ります。女を夷狄の部隊に返そうと、今度は私が遠征する。しかし、帰ってくると、夷狄に通じたとして反逆罪に問われてしまう。激しい拷問。そして野良犬のような生活。 執拗で生理的な嫌悪をかきたてる容赦のない暴力の描写が目に付きますが、しかし、それはヘロドトスなどの古典を繙けば頻繁にお目にかかれるもので、「古くて新しい」記述とでも言うべきもの。南アという、現在進行形で二つの文化がぶつかり合うホットな地域に根差し、それを自らの西洋的なルーツを辿り重ね書きpalinpsestすることで、この作品は、知的な構成を保ちつつも、人間の奥底に眠っている根元的な在り方の一側面を描き出す事に成功していると思います。 The Portable Faulkner (Penguin Classics)Disgraceカスタマーレビューピックアップ 間違いなく近年読んだ小説の中でベストだ。ロリータ以来の衝撃と言って良い(H16.5.16)。舞台は南アフリカ。離婚した壮年文学教授がこうむる、屈辱的な事件の数々。そのエロチックな事件を主軸に、教授の研究対象であるバイロンの恋愛事件のエピソードがその流れを彩って行く。野犬の叫び声と屠殺されて運ばれる犬の足のイメージが強烈に作品のバックグラウンドを形成して、素晴らしい。もし私がこれをドラマ化するとすれば、開幕前に巨大な犬のシルエットを前面に映し出し、野犬の叫び声を流して効果的に舞台を演出したい。 英語も極めて平易で読みやすく、後世に残る傑作として特に「中年男性」にお勧めしたい(H20.4.10)。 カスタマーレビューピックアップ クッツェーといえば『マイケル・K』を随分前に読んで以来の贔屓の作家だが、ここは『嵐が丘』の名訳に感銘を受けた訳者を絶賛しておきたい。柴田元幸氏や若島正氏等々英米文学の優れた翻訳家は多数いるが、鴻巣氏も素晴らしい。今後若い作家志望者たちは、この人が翻訳する作品を争って読むことになるのではないか。フラナリー・オコナーやディーネセンを訳した横山貞子氏のような活躍を望むと共に、英文学関係のエッセイなどにも期待したい。さらに、新作だけでなく、『嵐が丘』のような古典的作品の新訳もお願いしたい。 カスタマーレビューピックアップ まず持って英語が素晴らしい。これほど平易な表現でこれほど人の複雑な感情が伝えられるのかと、驚嘆するほかない。これ一編がひとつの詩であると考えて良い。効果的な英語表現に興味のある人は、この作品から相当学べるはずだ。作品自体も、人にとっての性、生の意味を相当深いところで捉えていると思う。主人公のデヴィッドと、娘のルーシーはある意味相似形で、お互いの中に自分を見ているのだと考えられるが、そこにポストアパルトヘイトの南アフリカにおける社会的現実がオーヴァーラップする。出来れば、原文の英語で読んで欲しい秀作である。 カスタマーレビューピックアップ 私は本が嫌いで活字アレルギーだが、この本はすらすらと読めた。 現在大学の文学部に在籍中で、教授から薦められた本がこれだった。 面白いとのことだったので読んでみたが、なるほど確かに面白かった。 面白かったというのは、ひとつには展開が堕落であるにせよどこか優雅で、主人公の 主人公の一人称が「私」もしくは第三者の視点の(この作者はこの表現を好む) 活字に慣れる訓練の早い段階で、この本にめぐり合えたことはとても幸運だった。 カスタマーレビューピックアップ
翻訳本は、原作者の筆致もさることながら、翻訳者の力も問われる。 それは、例えばセリーヌの「夜の果てへの旅」の二つの翻訳本を見れば分かると思う。 この本での、鴻巣さんの訳文には、彼女の女性としての生き方そのものを感じるほどに、洗練されたものがある。 Diamonds Are Forever: A James Bond Novelカスタマーレビューピックアップ
つい最近までダイヤモンドは南アフリカの鉱山を押さえていたデ・ビアス社が価格から供給量まで完全にコントロールしていました。自身の鉱山以外のダイヤ原石は全て買い上げ、デ・ビアスを通さないとダイヤの原石は手に入らないという状況を作り出していました。このことはダイヤモンド・シンジケートと呼ばれ、本作の背景となっています。 その後ロシア・中国・オーストラリア等で埋蔵量の豊富なダイヤモンド鉱山が発見され、さすがのデ・ビアスも全てを買い取ることは難しくなり、以前のような完全なコントロールはできなくなってきたようです。ルイ・ヴィトン・グループがデ・ビアス・ブランドのジュエリーを発売した時には、とうとうデ・ビアスもルイ・ヴィトン傘下に入ったのかと思いましたが、そんな単純な話ではありませんでした。デ・ビアスはそんな半端な会社じゃないですね。 フレミングはデ・ビアスを中心としたダイヤ・モンド・シンジケートについてのルポルタージュも書いています。本作ではその時のネタを使っているようです。全盛期のデ・ビアスの世界を垣間見れます。 ちなみにタイトルの"Diamonds are Forever"は「婚約指輪は給料の3か月分」と同様、デ・ビアス社のマーケティング担当者が考えたキャッチ・コピーです。 Devil on the Cross (African Writers Series)Disgrace (Penguin Essential Editions)カスタマーレビューピックアップ 間違いなく近年読んだ小説の中でベストだ。ロリータ以来の衝撃と言って良い(H16.5.16)。舞台は南アフリカ。離婚した壮年文学教授がこうむる、屈辱的な事件の数々。そのエロチックな事件を主軸に、教授の研究対象であるバイロンの恋愛事件のエピソードがその流れを彩って行く。野犬の叫び声と屠殺されて運ばれる犬の足のイメージが強烈に作品のバックグラウンドを形成して、素晴らしい。もし私がこれをドラマ化するとすれば、開幕前に巨大な犬のシルエットを前面に映し出し、野犬の叫び声を流して効果的に舞台を演出したい。 英語も極めて平易で読みやすく、後世に残る傑作として特に「中年男性」にお勧めしたい(H20.4.10)。 カスタマーレビューピックアップ クッツェーといえば『マイケル・K』を随分前に読んで以来の贔屓の作家だが、ここは『嵐が丘』の名訳に感銘を受けた訳者を絶賛しておきたい。柴田元幸氏や若島正氏等々英米文学の優れた翻訳家は多数いるが、鴻巣氏も素晴らしい。今後若い作家志望者たちは、この人が翻訳する作品を争って読むことになるのではないか。フラナリー・オコナーやディーネセンを訳した横山貞子氏のような活躍を望むと共に、英文学関係のエッセイなどにも期待したい。さらに、新作だけでなく、『嵐が丘』のような古典的作品の新訳もお願いしたい。 カスタマーレビューピックアップ まず持って英語が素晴らしい。これほど平易な表現でこれほど人の複雑な感情が伝えられるのかと、驚嘆するほかない。これ一編がひとつの詩であると考えて良い。効果的な英語表現に興味のある人は、この作品から相当学べるはずだ。作品自体も、人にとっての性、生の意味を相当深いところで捉えていると思う。主人公のデヴィッドと、娘のルーシーはある意味相似形で、お互いの中に自分を見ているのだと考えられるが、そこにポストアパルトヘイトの南アフリカにおける社会的現実がオーヴァーラップする。出来れば、原文の英語で読んで欲しい秀作である。 カスタマーレビューピックアップ 私は本が嫌いで活字アレルギーだが、この本はすらすらと読めた。 現在大学の文学部に在籍中で、教授から薦められた本がこれだった。 面白いとのことだったので読んでみたが、なるほど確かに面白かった。 面白かったというのは、ひとつには展開が堕落であるにせよどこか優雅で、主人公の 主人公の一人称が「私」もしくは第三者の視点の(この作者はこの表現を好む) 活字に慣れる訓練の早い段階で、この本にめぐり合えたことはとても幸運だった。 カスタマーレビューピックアップ
翻訳本は、原作者の筆致もさることながら、翻訳者の力も問われる。 それは、例えばセリーヌの「夜の果てへの旅」の二つの翻訳本を見れば分かると思う。 この本での、鴻巣さんの訳文には、彼女の女性としての生き方そのものを感じるほどに、洗練されたものがある。 Half of a Yellow Sunカスタマーレビューピックアップ
Biafraという国が1960年代後半数年間だけあったのを知りませんでした。Nigeriaの南部に暮らす一部属であるIgboが国内の部族間の確執から独立を宣言するも国際的に認知されず、孤独な戦いを続けるが結局敗北しNigeriaに統合されたそうです。その間、国民は相当な飢餓に苦しみ罪の無い子供や市民が犠牲になった。 話の舞台はIgbo属の知識人階層の家で、そこに関わる貧農出身の Half of a Yellow sun Six Feet of the CountryThe Lives of Animals (The University Center Fro Human Values Series)カスタマーレビューピックアップ 某県の観光ダチョウ園では、ダチョウたちが放牧されていて、餌をあげたり乗ったりして遊ぶことができますが、併設のレストランではなんとダチョウ肉のステーキがメニューにあり、名物になっているんだそうです。臭みがなくて美味いらしいですが、牧場で遊んだ後では、なんとなく気まずい食事になりそうですね。 本書では動物のみが議論の対象になっていますが、そもそも私たちは植物も含めて生き物を殺して食べなくては生きていけない「罪深い」存在です。「殺して食べる」という普段は意識する事のない「事実」を、実の所、私たちはどのように捉えるべきなのでしょうか。 本書におけるクッツェーの講演は、架空の講演とそれに対する家族と聴衆の反応から成っています。メタフィクショナルな構成ですが、その複雑な語りは『敵あるいはフォー』で試みられた実験やプラトンの対話篇を連想させます。トマス・アクィナスや古代ギリシアの祭儀に関する言及があることから、著者の古典に対する意識は、形式的にも思想的にも明らかだと思います。 コステロの議論は、「独善的で論法がなっていない」とまでは思いませんが、同じ主張や比喩が繰り返され前進的に展開されず、聴衆に対して一方的に孤立感を深めていく印象を持ちます。思想自体も基本的にカフカや反発しながらもデカルトの流れを汲んでいるので、「限界のない共感」という概念ひとつ見てもどうしても二項対立的人間中心主義に足を引っ張られ、肝心なところで戯画的な表現に頼らざるをえず、屈折した形になっています。 リフレクションズでは、文学、生命倫理学、宗教学、霊長類学の研究者がそれぞれの立場から自由に発言していますが、個人的に、最後の二つのエッセイに感銘を受けました。 カスタマーレビューピックアップ
「哲学者と動物」、「詩人と動物」と題されプリンストン大学でおこなわれたクッツェーの2度の講演は、高名な小説家エリザベス・コステロが、ある大学からなんでも好きなテーマで話をしてくれるようにと招かれ、講演をするというフィクションだった。 クッツェーの講演と、それに応え、さまざまな学問領域の洞察を加えた序文と4つのリフレクションズで構成されているこの本は多少哲学的でもあった。コステロの意見を通じての私の意見は、結局人間はどの動物よりも弱いと言えるかもしれない。それ故、動物のなかでの人間の優位性と、力を誇示しているのかもしれない。それはきっと、他の動物を殺す事や、それらを哀れむという形で表れているだろうという事だ。読んだ後にも考えさせられるとても奥深い作品だ。 |
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