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Amazon人気商品ランキング/歴史学psWorksはAmazon.co.jpの提携サイトです。代金確認、及び商品の発送はAmazon.co.jpが行います。 1500円以上のお買い上げで国内配送料無料!! 中古価格が表示されている商品は[商品詳細]ページでご購入頂けます。 商品総数:289/総ページ数:29 最終更新日:2008/10/14 歴史とは何か (岩波新書)カスタマーレビューピックアップ E.H.カーの著作で、日本でとても有名な著作。自分も高校生の時に買って、何度も挑戦してはわかりにくくて放棄し、また読んでの繰り返しだった1冊。 今改めて読み返してみると、歴史の持つ個人的効用、社会的効用がわかり始めたような気がする。「歴史は現在と過去の対話である」という言葉がここではとても印象的に使われているが、じゃあなぜそんな対話をする必要性があるのか。 今の社会で広範に流布している風潮は「いまを生きよう」や、「二度とないこの瞬間を大事に生きていこう」といったものが有力に見えて、そこには歴史を学ぶ必要性・必然性は欠落しているし、歴史への意識はかえっていまを生きる上で邪魔な障害物でしかないように思わせる。じゃあなぜ、歴史を学ぶ必要があるのか。 それは、いまを生きるときの「いま」は歴史的に構築されたもので、何らかの勢力が特定の意図の下で設計した結果として「いま」が「あるがまま」にあるという事実を、歴史は学ぶ者に教えてくれるからだ。この議論は本書の中に収録されている。そのことこそが歴史を学ぶべき最大の理由なのだと思う。毎日毎日、毎週毎週、毎年毎年「いまを生きる」ばかりでは、自分たちがいる位置について知ることは出来ないし、自分たちを取り囲んでいる諸々の制度の仕組みについても知ることが出来ない。「いまを生きる」精神を要求しているのは、例えば今の産業システムであり、それを前面に立って支えているマスメディア産業であり広告産業であり、そこでは物事のもつ歴史性を隠蔽し、また歴史自体を商品にすることによって人々を永遠に「いまを生きる」状態にとどめようとする傾向をもつ。そんな状態を食い止めるのが、現状の持つ問題性を明らかにする戦略としての歴史研究だ。 そういう風に考えれば歴史研究は実はとても過激なインパクトを齎すことの出来る分野でもあり、普通に生きている人々にとっても「いまを生きる」際の基本的なリテラシーともなり得る。この著作は、そんな視点からの読解にも耐えうる、中身の濃い1冊です。 カスタマーレビューピックアップ 大学では西洋史を専攻した私。史学科の課題図書の筆頭はこのE.H.カー『歴史とは何か』だった。そしてカーの決めゼリフは「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話である。」(p. 40) でもこれだけでは、カーの真意は伝わらないように思うので、私の言葉でカーの代弁をしてみたいと思う。 一般的には、歴史的な事実というと、考古学や日本史の遺跡発掘のイメージで「客観的事実」を宝探しの宝を探すように「発見」し、それを記述したら歴史が出来上がり、という感じがするのだが、そうではない、とカーは言いたいのである。そして「主観的」という言葉が何か悪いものであるかのように考えられがちだが、そうではなく、歴史家の「判断」があって初めて「歴史的な事実」として認められるのだということである。そうすると主観的な判断が入るので「客観的事実はない」「不変の真理はない」と嘆いたり、怒ったり、ぐれたり、すねたりしてしまう人がなぜがいる。それが学問的態度ではない、って言うことなのだ。私たちができることは、限りなく近づこうという態度で臨むことだけだ。そしてあくまでも仮説として設定することに意味があるのである。「客観的事実」を設定すること、「不変の真理」を設定すること、それに意義がある。有るかどうかは問題ではない。(愛も神様もそういう存在だと私は思っています。) 画家の安野光雅は数学者で水道方式で有名な教育家でもある遠山啓と対談し、以下のように語っている。「主観」という言葉のひびきが悪いものであるかのような誤解をとくこと。これが科学教育の第一歩だと思います。 ●安野:ひとつの目的に到達するための一種の方向感覚のようなものはありますか。(中略) ●遠山:構想力といいますか、これは数学ばかりでなく、科学ぜんぶがそうだと思います。科学をあまり知らない人は、科学というのはわれわれの世界を写真みたいに写す学問だというように考えている。そういう人が多いのですが、実際は写真みたいな写し方ではない。むしろ、絵に近いです。不必要なものは大胆に捨象してしまう。重点的な点だけつかみだして見ていくんですね。だから、科学的な精神というのは、なにかおのれをむなしくして、写真のカメラみたいにならなければいけないように考えている人が多いようですが、実際は、そうではない。非常に主観がはいるわけです。 『空想茶房』(平凡社1986年 <初出> 美術と数学との対話『遠山啓との対話 教育の蘇生を求めて』太郎次郎社1978年) 2002-11-9記す カスタマーレビューピックアップ 歴史哲学の古典的名著。 歴史事実、歴史叙述、法則、進歩などなど、歴史哲学の重要な問題が簡潔にまとめられている。 歴史哲学の最初の一冊にも薦められる本であろう。 以下概要 歴史は客観的に与えられたものではない。 なぜなら、歴史家は無数にある過去の事実の中から、何個かの事実を選び出して叙述するものだから。 また、おのおのの事実同士をどのような関係で結びつけるかも、歴史家の主観や現在の価値観が入り込むものである。 しかし、歴史は好き勝手に作っていいものではない。歴史家はやはり過去の事実にもとづかなければいけない。 だから「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります」(p40) 歴史家の中には、歴史事実をすべて個人の力に帰してしまうものと、すべて歴史の流れに帰してしまうものとある。 しかし、そのどちらもが誤りである。歴史は、その両方によって動かされているのだから。 歴史は科学であり、歴史家は史実という特殊的事例から一般的事例を引き出し、現在の我々に警告や教訓を与えていくものである。 歴史事実の因果関係もまた、そのような地平において設定される。 歴史の外側に完璧な未来や絶対的法則を設定するのは誤りだが、歴史をカオスとして捉えるのも誤りであり、我々は歴史の教訓を学び、未来へと生かすべきなのだ。 上記したように総じてよく出来た書である。 しかし、歴史をあそこまで科学にしてしまうのには疑問も残る。 確かに歴史を科学として機能させることは出来るし、そういう側面も歴史は有しているが、それだけが歴史ではないように思われる。 我々が歴史の本を読んで楽しんだりするのは、過去から教訓を学んで未来へ生かすという目的だけだとは到底思えない。 歴史には、そうした科学以上の深みがある。 そこら辺が、本書ではかけてしまっているように思えた。 なお、訳については、確かにときどき変な文章はあった。 例えば「第二点は、歴史は、なぜ個人が「彼ら自身の気持ちから見て、このように行動したのか」を研究する、というのですが、一見したところ、これはひどく異様に思われますけれども、私の感じでは、他の敏感な人々と同様に、ウェジウッド女史もぞ文が説教していることを自分では実行していないようです。」(p67)は、わかるといえばわかるのだが、やはり読みにくい文章だと思う。 しかし、こうした文章はそんなに多くはなく、訳で困ったりするようなことはほとんどなかった。 なので、訳の問題はそこまで気にしなくてもいいように思われる。 カスタマーレビューピックアップ 本書は「歴史学」は如何なるものかについての論考である。 歴史学研究の基礎となる名著は本書以外にもあるが、 本書は多角的な視点で史実や研究方法及び史料批判の方法、 そして思想・哲学分野も含まれており、 歴史研究者を目指す者や教職課程で歴史学を学ぶ学生は、 必読の書と言えるであろう。 カスタマーレビューピックアップ
歴史・宗教・民族。これらはすべて琴線に素手で触れてしまう危うさを秘めているため、どうしても扱いにくいと思うのは、小生だけではあるまい。ことに「歴史」という言葉を目にする時、その意味は、「事実」、「まつわる感情」、「歴史という名の履歴の見方」等々、完全にとは言わぬまでも、分割すべきものが、ないまぜとなっている気がする。本書は、小生が示したもののうち、「歴史という名の履歴の見方」つまり「歴史哲学」について再考を促す書物である。 著者E・H・カーは、1962年の本作出版時、トリニティ・カレッジのフェローであった。この著作はケンブリッジで1961年に行われた連続講演を基に仕立て上げられたもので、とても読みやすく、問題点がよく分かり、また原注も丁寧である。 著者のスタンス(視点)は、あくまで冷静・穏健でありながら厳しい。それは『歴史を研究する前に、歴史家を研究してください』そのためには『歴史家の歴史的および社会的環境を研究して下さい』という主張に現れている。つまり、歴史は、歴史家を通じて届けられる『社会的産物』(3点とも同書p61より)であることに注意せよ、という事で、まさにこの点を意識しつつ、目次に掲げられた6項目について述べているのである。 歴史哲学というと、へ―ゲルなどに見られる「史観」という看板のもとに、ややもすると、強引な押し売りが目に付くが、本書は、たとえそのような事が後に明らかになったと仮定しても、極めて地に足のついた秀作であると、小生は感じた。 よって推薦したい。 なお現代においてのスタンスは、『岩波講座 世界歴史 第一巻』に手際よくまとめられているので、こちらも参考になる。 世界史とヨーロッパ (講談社現代新書)カスタマーレビューピックアップ 本書は著者の前著『聖書 VS 世界史』の補遺である。現在行われている「世界史」にこびりついている「欧州中心主義」の残滓をランケ、マルクス、マックス・ヴェーバー等の歴史観を批判し、浮き彫りにするのが本書の狙いかと思われる。また前著で「普遍史」として紹介されたキリスト教的歴史観だけでは「欧州中心主義」の説明が不十分なため、重複する部分も多いが、メソポタミア的歴史観、ヘレニズム的歴史観が「世界史」に与えた影響が加えられている。私には、むしろ今の時代は「欧州中心主義」は相当後退し、米国、ロシア、中国、朝鮮、日本、インド、イスラーム圏等が「欧州中心主義」を換骨奪胎し、各々の「自己中心主義」を創作し、民族主義、国家主義、宗教主義を鼓舞しているのではないかと思う。そもそも今の欧州に往年の帝国主義時代ほどの力があるだろうか。むしろ残滓たる「自己中心主義」の世界的伝播こそ恐るべき弊害であり、十分に警戒すべきものであると思われる。 カスタマーレビューピックアップ æ'ã...ã親ã-ã"ã§ãããæ'å²ãããä¸-çå²ãã¨ãããã®ã¯ãäºå®ã'å-è¨ã-ã確åºã¨ã-ããã®ã¨ã-ã¦åå¨ã-ã¦ããã®ã§ã¯ãªãããã"ã«ã¯ãã¾ã-ã¾ãªæä»£ã«ãã¾ã-ã¾ãªè§£éããªãããããã®çµæã®é大æãªã®ã§ãããæ¬æ¸ãæ±ãæ'å²ã¯ä¸»ã«è¥¿ã¨ã¼ããã'人ããè¦ãæ'å²è¦³ã§ãä¸-çæå¤ã®ããã"ããã¢ã®ä¸-çå³ï¼åï¼-ï¼ï¼ï¼ããã説æãå§ã¾ãããã"ããã¢äººã®ä¸-çï¼ãã"ã«ã¯ãã"ããã¢ã-ãåå¨ã-ã¦ããªãï¼ã'å-ã'ç¶ãã ãã®ãã®ãªã·ã¢äººããã¡ã¼ãã¹ã®ããªãã¥ãã»ã¤ã¢ããæåã åæä»£ã®æ'å²èªèã®å¤é·ãããã«é-¢ããè-æ¸ããä¸å½ãã¤ã¹ã©ã å¸å½ã®åé¡ãªã©ã©ã®åé¡ã'ã¨ã£ã¦ãã¨ã¦ãèå'³æ·±ããå¾åã¯ãã«ã¯ã¹ãããã¯ã¹ã¦ã§ã¼ãã¼ãªã©ãåºã¦ãã¦åé¡é åãããªãåºãã£ã¦ããã西ã¨ã¼ããã'ã'ä¸å¿ã«ã-ãä¸-ç観ã«é·ãé-"ãªã!ã¦ããã¨ã¼ããã'人ããæ¨ªæãªã®ãããªãã'ããå½¼ãã¯æ°åå¹'ã®æ'å²ã'çµã¦åªå¢æèã'ç"ã¿ã¤ã'ãããã カスタマーレビューピックアップ
歴史とあるが、ヨーロッパ人がどのように時間や自分達の住んでいる世界がどのようなものだったのかということが書いてある。古代から始まり、現代に至るまでの世界観がわかりやすく書いてある。実は歴史の現在区分である、古代、中世、近世、近代、現代といった区分の仕方は、学問的な根拠からではなく、キリスト教から発しているものだということがわかる。世界の拡大から、差別的思考が生まれ植民地支配を西洋人がおこなったということなど、西洋文明の弊害とも言うべき現象もどうして発生したのかということまでわかる。歴史というよりも西洋人の観念が良く理解できる。哲学や社会学に興味がある人でも十分面白いと思う。 歴史哲学講義 (上) (岩波文庫)カスタマーレビューピックアップ ヘーゲルは哲学的歴史について次のように語る。 「というのも、歴史においては、あたえられた存在に思考が従属し、思考はあたえられた存在を基礎とし、それにみちびかれるのにたいして、哲学本来の思考とは、あたえられた存在にとらわれることなく、自発的に思索をうみだしていくものだとされるからです。哲学が自前の思考をたずさえて歴史におもむくと、歴史を一つの材料としてあつかい、それをそのままにしておかないで、思考によって整序し、いわば歴史を先天的に構成することになる。」 ひとびとはこの哲学的歴史の概念を理解せずに、自分の考えを押し付けて、ヘーゲルを批判する。ヘーゲルによれば、哲学的歴史とは、歴史を材料にして、材料をそのままにせずに、思考によって整除し、歴史をアプリオリに構成することだ、いう。この意味では最初からヘーゲルは、所与の存在に思考が従属し、所与の存在を基礎とする、それに導かれるのを拒否し、アプリオリの構成に向かっている。だから、歴史はアプリオリに構成されないとする人たちとは初めから袂を分かっているいるのである。 カスタマーレビューピックアップ まず大変に訳がよくて、すいすい読める。 タイトルに「歴史哲学」とあるので、当然哲学的な本だと思っていたが、ところがどっこい。 「歴史哲学」をしているのは、「序章」の100ページちょっと。残りは「ギリシャ」「東アジア」など、世界史の話になっている。 歴史哲学だけ知りたい人は、ボリュームに身構えることなく、気楽に読んでもらいたい。 カスタマーレビューピックアップ ヘーゲルの中では最もポピュラーで入りやすいだけに、誤解が蔓延、結果的に、同氏のあらぬ悪評の原因になった本。ヘーゲルは人間の歴史、人間の社会の原動力を「自由」に見ている。丁度、物に重力が掛かるのと同様、人間には「自由」が本質的だ、と。だがここで言う「自由」とは、自己に掛かる制約を外していこうとする情念・本能のことだ。唯物史観のマルクスの思想は天才的だが、より幅の広い概念として「自由」を立てるヘーゲルの史観はやはり天才の膂力を痛感する。「人間の歴史は自由の発展の歩みだ」というのは、様々な制約を取り払い、自分で自分を制御する真の自由「理念」への道のりだという。情念の放埓に見える人間の営みは、唾棄すべき残酷な歴史にしか見えないが、しかし、よく見てみると、結果、多くの制度や習俗規範を生んで、少しずつだが多くの人間の「自由」を保証してきた。歴史にこの姿を読み込んで「哲学」にしたのが、彼の「歴史哲学」だ。それは、超越的に頭の中で作り上げた「哲学」ではなく、「人々の足跡」を読み込んだ「哲学」といえる。民族国家さえ出来ていない当時のドイツの状況を考えれば、20世紀のナチズムの影を彼に読み込んで、国家主義者だと批判するのは荒唐無稽。アリストテレスを奴隷主義者と批判するのと同様な非常識でしかない。それに、現在、我々は国家についてヘーゲルのような楽観的な意見は持ち得ないが、しかし、国家を無視したところで、思想・日常生活・社会を語ることが可能だろうか。国家の問題を真正面に据えて取り組んだヘーゲルの思想を超える思想はまだ無いと思う。しかし、また、ここまでの現実感を哲学に持ち込むことで、「哲学」が「可能なのか」という疑問も捻出されよう。これ以上現実的であることは、もはや機会を睨んだ実務家の仕事になるし、より「内面性」に傾斜して「単独者」に注視すれば、それは真空管の議論として聞く耳持つ人間は居なくなる。「哲学の極北」にたつのがヘーゲルだと思える。 カスタマーレビューピックアップ 全集版の堅苦しさがなくなって、誰にでもと言うわけではありませんが、非常に読みやすくなってます。1日1日をこつこつと営んでいる労働者には腹立たしい1冊です。なんでもかんでも、自己を超えた理性のせいにするな!生きてることが虚しくなるじゃないか。そう思いませんか?そう思った人は序論だけでも読んでみませんか? カスタマーレビューピックアップ
本書は、序論・第一部東洋世界・第二部ギリシャ世界・第三部ローマ世界・第四部ゲルマン世界で構成されています。 序論に世界史の発展における基本構図が描き出されていると思います。 序論A 歴史のとらえかた (C)哲学的な歴史 B 歴史における理性とは何か (a)精神の抽象的定義 (b)自由を実現する手段 (c)自由の実現体たる国家 とりわけ、神の理念がどうこの現実世界と妥当し発展したか、その描写が私の読んだときの主眼でした。 (c)自由の実現体たる国家 「主観的な意思や情熱が目的を実現する活動力であり、理念が歴史の内面をなすとすれば、国家は現実に実在する共同の生活です。というのも、国家は一般的かつ本質的な意思と主観的意思との統一体であり、そこに共同の精神がなりたつからです。この統一体のうちに生きる個人は、共同の生活に参与し、個人としての価値を公的にみとめられます。」「国家こそが、絶対の究極目的たる自由を実現した自主独立の存在であり、人間のもつすべての価値と精神の現実性は、国家をとおしてしかあたえられないからです。精神の現実性とは、人間の本質たる理性的なものを対象として知ることであり、理性的なものが、客観的な、形のある存在として目の前にあることです。そのときはじめて人間は共同体を意識し、人とつながり、法と道徳にかなった国家生活をおくるのです。共同体の真理とは、公共の精神と主観的精神が統一されることであり、公共の精神とは、普遍的かつ理性的な国家の法律のうちに表現される。国家は、神の理念が地上にすがたをあらわしたものです。」(同、72頁、73頁) 物語の哲学 (岩波現代文庫)カスタマーレビューピックアップ
著者の専門は科学哲学を中心に分析哲学や大陸系の現象学など広範囲である。哲学においても物語り行為は重要な役割を担う。かのカントの純理にしろ、フッセルのヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学にしろ、ハイデガーの名著存在と時間にしろ、著者が自ら訳し親炙したローティの哲学と自然の鏡にしろ、哲学書の論理的展開を支える強力な物語的構成力なくしては古典的な著作たりえない。たとえばアインシュタインの特殊相対性理論のシンプルな公式表現ですら、物語的ですらある。 そこで著者第1章を「人間は物語る動物」である、と始める。本書は単著で刊行されたさいには柳田國男と歴史の発見という副題が付けられていたが、著者の意図は物語論一般にあり、現代文庫版では削除されている。つまり、原初的な口承文学を含めて歴史叙述との類似性などを精緻に分析、理論化することが目的である。したがって、所謂文学理論的な著作とは異なり、哲学的あるいはメタ理論的な概念を敷衍して議論を展開している。理論的な流れの中で注目に値するのは、リチャード・ローティが集大成した20世紀前半の哲学革命言語論的転回が、実は歴史学においても1990年代に波及したという指摘を踏まえて、前版を補正してなったのが本版だという。物語理論は、なにも文学が独占する領域ではない。哲学的視点による知の総合理論としての物語論と読むべき著作の誕生である。 聖書vs.世界史―キリスト教的歴史観とは何か (講談社現代新書)カスタマーレビューピックアップ 不思議なのはこの世界がいつ始まったかについて考えないといけないそうです。 そんなことよりごみ処理の問題を考えるべきかもしれません。 カスタマーレビューピックアップ 1943年生まれのドイツ近代史研究者(成瀬治の弟子)が、1996年に刊行した、1〜18世紀の西洋(および明治日本)における普遍史の内容の変遷史。普遍史とは聖書の記述に基づき書かれた世界史であり、明確な始点=天地創造と、近い将来における終点=神の国の実現=終末を持ち、四世界帝国論に立ち、化物世界をも含む三大陸から成る平円盤状の世界観と結び付いていた。古代のそれは、キリスト教護教活動の一環であり、異教徒を説得して聖書の優越性を示すために、異教徒の歴史の古さの否定や、ときには聖書の読み替え・一部無視も行いつつ書かれた。中世のそれは、基本的には古代的普遍史を継承し、第四帝国=ローマ帝国の存続を前提とした(皇帝と教皇を2つの焦点とする楕円的世界像)。また、創世紀元を基本としながら、キリスト紀元の緩慢な普及をも伴った。しかし、ルネサンスにおける人間の力量の発見や、古典・聖書(三系統)の批判的比較研究の興隆、植民地支配・対中国交易の開始(球体・四大陸世界観の勝利、化物世界の否定)、科学革命による時空間の無意味化の中で、普遍史記述は危機の時代を迎え、それが教派論争とも絡まり合いながら、年代学論争という形で現れた。18世紀には、ゲッティンゲン大学を中心として、科学知識の援用、世俗化されたキリスト紀元と古典的三区分法の普及、西洋史の相対化(ただし優越的地位は維持)といった特徴を持つ、啓蒙主義的世界史が成立し、ここに普遍史はついに自己崩壊する。本書は普遍史(歴史学前史)を焦点とした西洋の聖書解釈史を扱う、専門的な内容でありながら、叙述は平易であり、多くの図表を掲載している。大局的な流れと共に、興味深い個別事実も多く紹介しており、お薦めできる本。 カスタマーレビューピックアップ 細かい記述が多いので、はじめのうちはちょっと退屈に思いました。たくさんの数字や人名が出てくるところでは、斜め読みしてしまいました。私のような素人読者はつい、文章に単純なメリハリを求めてしまうので、問題点や結論が複数あるときは箇条書きにしてもらえたらな〜と思いましたが、それはあまり美しくないやり方かもしれませんね。 というわけで、読んでいる最中はそれほどでもなかったのですが、読み終えた時には衝撃と深い満足を味わいました。「これを読んでよかった」という気持ちがじわじわ広がってきます。読んでいるとき面白くても、読み終えるとすぐ忘れてしまうような本もありますが、これはその反対でした。細かい数字や人名をさておいても、得るべきことがたくさんある一冊でした。 カスタマーレビューピックアップ 本書の「普遍史」はユダヤ人による聖書記述である。絶対神が万物と人類を創造し、世界を支配する歴史観である。中国人も歴史観念は劣らないがキリスト教徒とは異なる。司馬遷以来、創造説に執着しないし、自己を中華とし「異物」は全て夷荻として片づけた。そこに歴史観の発展の契機はない。しかしキリスト教徒は、何事も聖書に沿って解釈する必要があった。まず科学的歴史家の先駆者たるヘロドトスと対決する必要があった。そして護教的意図からローマを取り込み、さらに地理的知識の拡大からインド、中国、新大陸と「異物」が現れるたびに、それまでの前提は否定され、歴史観自体が弁証法的発展を遂げた。聖書記述と新事実の矛盾を直視する態度こそ「世界史」を生み出す原動力になったのだろう。なお本書では「普遍史」の崩壊を少々衒学的に議論しているが、そんなことをせずとも「キリスト教信仰」そのものを抹殺したダーウィンの「進化論」にご登場願えれば十分だと思われる。 カスタマーレビューピックアップ
聖書対世界史という題名であるが、この書物は西洋における「世界史観の変遷」を追った書物であり、新たな事実の発見で世界観が覆ってゆく様には、ミステリー小説を読むような知的興奮がある。 古代ギリシャ・ローマの時代、世界史とは、アッシリア、メディア、ペルシャ、ローマという世界帝国の興亡史として認知されていた、という冒頭の記述から、おもわずへぇ~ と感心。それがキリスト教の登場で紀元前4000~5000年程度に世界創世が置かれた結果、事実と合致しないエジプト史の扱いが古代神学者の間で大きな問題となりこれを神学者達がどう解決していったのか? 大航海時代にもたらされた中国の歴史の深さに関する知識は再び古代末の論争を興起し、ついにはキリスト教的世界史観が崩壊に至る様から、「古代、中世、近代」という近代的世界史観成立の流れを追う記述はスリリングである。あまり類を見ないアプローチの内容かつ高額な書籍として出版してもよかったのではないかと思える程の内容の充実。買って損はありません! 最近同著作者による世界史対ヨーロッパという続編的新書が出ましたが、個人的には本書の方がコストパフォーマンスは圧倒的と思う。 歴史学入門 (岩波テキストブックスα)カスタマーレビューピックアップ 放送大学での講義をもとに、 歴史学を学ぶ学部学生用に書かれた本。 どこかで聞いたことがあるような話が並ぶが、 活字になって改めて読むと、響く記述が連なる。 まとまっていて、使いやすいので、 ぜひ手元においておきたいような本。 カスタマーレビューピックアップ
学校で行われる「歴史学基礎」ないし「歴史学概論」を一冊にまとめたものです。 本書は初学者向けに書かれており、歴史という学問に関わる予定の 若い方々は触れておくといいでしょう。 また参考文献を頼りに自分の関心のある書を手にしてみるのもいいでしょう。 初学者にはもってこいの本だと思います。 歴史学ってなんだ? (PHP新書)カスタマーレビューピックアップ 歴史に興味があります。 歴史関係の本をよく読みます。 私はこれまで何度か発言してきましたが、 自分は歴史小説が好きなのであって、 歴史(史実)に興味がある事と同一でないと理解しました。 歴史は繰り返すと、誰が言ったのか不勉強ですが、 歴史から学ぶことがあるのは当然のように思っていましたが、 そもそも歴史は本当に役に立つのか、 史実は明らかにできるのか?を考えている方々がいて それが歴史家だということが分かりました。 少なからず歴史学の知識がつくと、 浅はかですが、歴史小説を純粋に楽しく読めなくなるようにも思ってしまいました。 カスタマーレビューピックアップ 「歴史を知る事は何の役に立つのか?」 これはランケの実証史学によって歴史学が科学の域に高められた結果、 歴史が物語(歴史小説や伝承・神話・あるいはプロパガンダ的な歴史)と 事実(客観的・科学的な史実追及)に分かれてからずっと議論が続けられている問題だろう。 現時点では秦郁彦氏の言う所の「教訓・説得・娯楽」辺りが無難な答えなのだろうが、 「教訓」は自然科学の法則ほど絶対的なものではなく、一種の経験則程度に留まるし 「説得」は定性的な一例を挙げているに過ぎないと言われればそれまでである。 「娯楽」は確かに有力な所だが、これを基調にすれば「面白ければ真実はどうでもいい」という論すら成り立ちかねない。 ランケとその末裔達の努力で歴史学は「史実を見つける」という点で間違いなく科学となった。 だが科学としての歴史は、物語としての歴史に比べて遥かに需要が少なかったのかも知れない。 「実用性を重んじるな」という著者の意見をランケもまた唱えていた事を思い出しながら、そう感じた。 カスタマーレビューピックアップ タイトル通りの内容が、平易な語り口で記述されており、 それぞれに具体例をそれなりに詳細に検討しているので、 興味深く最後まで読める文献である。 特に従軍慰安婦問題を取り上げており、 タイムリーと言えばタイムリーでありがたい。 世界史の第一回の授業で使いました。 そのほかの参考図書は 東京大学教養学部歴史学部会『史料学入門』岩波書店, 2006. 福井憲彦『歴史学入門』岩波書店, 2006. 吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書, 1995. カスタマーレビューピックアップ 『使える新書』で教えてもらって読んだが、実にすっきりと歴史学についての見取り図を描いている。歴史好きな高校生がこの本を手引きにして、引用されている「おすすめ本」を読み込んでゆけば、それこそ「自覚的にものを考える」最良の教養が身につくだろう。人文系の大学生であれば、どの分野に進むにしても、知識を深め「センスオブワンダー」としての好奇心を培うのに、うってつけの本だ。塩野七生や司馬遼太郎の小説で歴史が判ったような気分にならない事(ノヴェルとして楽しむのはいっこうかまわないが)が教養がある、ということだ。 フランスのアナール学派や網野史観、あるいはポストモダンなどに興味がある人、ぜひこの本を一読して関心の整理をされることをお奨めする。ここ十数年で一番読みやすく役に立った新書である。 カスタマーレビューピックアップ
とりあえず、従軍慰安婦問題はある程度知識があるので言うが、著者はろくに慰安婦関連の本を読んでいない上に、坂本多加雄氏の主張を歪曲している。 まず、従軍慰安婦問題で、秦郁彦の名前がまったく出てこない時点でおかしい。 取り扱いから見ても、さも実証学的には吉見氏の主張が全面的に正しいことが立証されているかのごとく書かれている。これは大いに誤りである。 この本を読んだ方は、慰安婦問題については、とりあえず「慰安婦と戦場の性」を読んでから判断していただきたい。 さらに、坂本氏は「歴史は物語なので、史実はわからないという立場(p97)」などではない。 坂本氏は、「まず、歴史研究は、来歴が言及する個々の事実の実証性を確証することで、その「真実性」を高める(「象徴天皇制度と日本の来歴」p29)」といっており、個別の歴史研究は物語としての歴史を支えるという立場である。つまり、歴史研究によって事実はわかるとしている。 坂本氏の主張は、無数の歴史事実を歴史に組み込むときには、必ず主観が介入するということである。例えば、日本史において「トイレの歴史」が出てこないのは、それが日本史において重要でないという主観的な判断が働いたためである。 その主観的部分を「国家に対する重要性」としたのが主張の根幹であり、それを「史実がわからない」などというのは歪曲以外の何物でもない。 そもそも、坂本氏が言う「慰安婦は他国に比べてとりわけ悲惨だったわけではない」というまっとうな主張を「古い」の一言で切って捨てる筆者の姿勢の方がよほど問題だろう。 国境の越え方―国民国家論序説 (平凡社ライブラリー)カスタマーレビューピックアップ 国民文化についての本。 いくつかの西洋の理論を使いながら伝統は伝統でないということを述べる。 著者のめざすところは晩年の坂口安吾がしきりに述べていた無政府主義だろう。 ポストコロニアルという英国の伝統的な学問を学びたい人におすすめ。 学問の伝統をきちんと受け継いだ作品。 カスタマーレビューピックアップ 文化論の本質が述べられている本。「イラク国民を解放する」というイラク戦争での大義名分の虚偽性、模倣文化といわれる日本文化の真実、日本、ドイツが文明の名の下に裁かれた第二次世界大戦の構造。この本を読むと今までなんとなく見てきた歴史に切り込む視点が手に入る。 確かに筆者の言う「私文化」に関して、坂口安吾のように強く生きていける個々人はどれくらいいるのだろうかとの疑問は湧く。 しかし、最終的に文化のレベルを個人まで下げることによって、構造上欠陥のある「国家」や「国民」という概念に縛られることはなくなる。国民国家形成から約200年、著者の言う「私文化」で生きていく人間は増えていくんじゃないかと思う。 読み応え抜群の中身この本に☆五つ付けなかったらどの本に付けるんだと思う。 カスタマーレビューピックアップ 文明・文化が自分のことしか考えていないと言うのがよく分かります。 「国家」や「国民」の中身のなさも物語っています。 では「国家」・「国民」という欺瞞性が分かった今我々は何をすべきなのでしょうか。 西川氏は動態的な「私文化」にこだわっています。 われわれは文化を捨てるべきだけれども、持ってしまう動物なのでしょうか。 後ろの上野千鶴子さんの解説も忘れずに。 カスタマーレビューピックアップ スチュアート・ホールのアイデンティティ論の近代性を批判しながら(p429-430)、「主体」という近代的概念に基づいた「私文化」を提唱する(p272-)のは矛盾しているように思う。さらに多文化主義に関するカナダの政治家の発言を新しいアイデンティティの萌芽として手放しで賞賛しているが(p412-413)、そこに逆に政治性を感じてしまう。解説の上野千鶴子氏も、「「私文化」に希望を託すことは、安易なオプティミズムではないのだろうか」と懸念を表明しつつも、その「難民のまなざし」を評価している(p476-477)が、そこに「学界」の政治的な意図を感じてしまうのは私だけではないだろう。本書全体の議論は面白いだけに非常に残念。 カスタマーレビューピックアップ
西川長夫氏の国民国家論についての主張がよく分かる一冊。 特に、解説で上野千鶴子氏も書いているが、「「 文明と文化 -その起源と変容」における「文明/文化」概念の議論はかなり面白い。昨今跋扈する「文明」の名の下に「敵」を「野蛮」と名指しして殲滅してしまう「思想」はどこから来たのか、あるいはそこからの「希望」はあるのか、を考える助けに必ずなるだろう。 個人的には著者の坂口安吾の読みが好きだ。「生存それ自体が孕んでいる絶対の孤独(坂口安吾)」と「私文化(西川長夫)」が通底すると考え思索を進める著者には、「国民国家論の立て役者」の一言では括れないものがある。 天皇のロザリオ 上巻 日本キリスト教国化の策謀カスタマーレビューピックアップ 思い込みの激しい、強引な推論が重なるので途中何度も投げ出しそうになったが、結局2週間ほどかけて上下巻を読了した。内容は、副題の通り。 敗戦直後、国家神道の解体や天皇の戦争責任回避、マッカーサーの思い入れなどが交錯する中で、天皇のキリスト教改宗が議論の俎上に上ったことは事実だろう。当時の状況では、西洋文化に親和性のある人材が政治の中枢に引き入れられやすく、クリスチャン比率も高まっただろうから、日本をキリスト教国に…という空気が相当の範囲で醸成されていたとしても不思議ではない。 しかし本書は相対的に堅実な方向での検証に留まることなく、GHQ占領下の日本で天皇の劇的なカトリック改宗を演出すべく、1949年6月の「ザヴィエル渡来四百年祭」開催と抱き合わせた陰謀が具体的にあった、と踏み込む。それが冒頭で描かれる「別府事件」であり、本書の全体が、この陰謀が現実にあったという前提の下で初めて許容されるような語調の激しさに彩られている。ところが、本書の支柱となるはずのこの「事件」に、直接的な証拠は何一つ示されない。 要するにここには、状況証拠により特定の「出来事」を「事件」化し、この「事件」を前提に状況証拠をさらに深読みするという自己増幅的な循環がある。孤独な思索者が、一種のハウリング現象に囚われてしまったと言うべきだろう。 ただそれでも、私は本書に幾許かの真実はあると思うし、市井に生きつつともかくも自力でここまで資料を集め、考え抜いた著者のある種の強靭さを、無碍に貶めたくはない。 カスタマーレビューピックアップ 奈良新聞の書評で「本年読書界で最も刺激的な書」とあったので読んでみたがなるほど迫力満点、しかも日本社会の本質を深く考えさせられる本だった。知られざる昭和天皇の一面だけでなく、日本政府と宮中の高官が一体となって仕組んだ日本キリスト教国化の全貌が、まるでミステリー小説にように次第に明らかになっていく。スリリングでまさに刺激的、良い本に出会えたと思う。タブーに果敢に挑んだ勇気ある著者に拍手。 カスタマーレビューピックアップ 冒頭および前半のキリスト教の謀略についてはうなずけますし、ありえることだと思います。 脇の「決して僕だけの誤りでない事を確かめ得たのである。」という文からも。しかし中半からは、全く同意できない。 1.明治天皇(孝明ではない)暗殺すり替え説を普通に採用している。 2.広田首相に条件を出した昭和天皇を絶対君主だとののしる割に、開戦の内閣決定を拒否せよという。(ちなみに終戦の決定は、内閣が二つに割れたからである。) 3.戦前に「天皇教」があったとする説。4.キリシタンの日本人万人級連行説(日本人奴隷自体はあった。) よく調べている姿勢には好感がもてる。しかしおかしい著述いっぱい、虚実無い混ぜでもある。 著者は文中共産主義者を否定しているが、自分の頭で考えているつもりだろうが、言っている事が全くのghq注入史観である。(日本だけが悪いとする。) 「少年H」と同じ世代(終戦時小学生)なのもうなずける。 カスタマーレビューピックアップ なんという偶然なんでしょうかね。ちょうどこの本の出版が昭和天皇のスクープとタイミングあってしまいました。この本の論旨からいけば、このスクープが扱っている昭和天皇の発言の論理もそしてその政治的な意味も十分理解可能です。この本には一切注なるものはありません。しかしながら大量の翻訳書を読みこなしたことは確かなようです。したがってどの程度、歴史学上考証が可能なのかは、素人には判明不可能です。基本的には状況証拠を積み重ねです。その結果、著者の直感に起因する推敲が展開されていきます。その推論の積み重ねは、驚くべき結論に読者を導きます。果たして導かれた結論は真実なのでしょうか?この本を手に取った読者が自分自身で判断するしかないでしょう。1945年から1949年にかけて繰り広げられた”静かな闘争”の論理と意図は確かに明確に説明されています。 カスタマーレビューピックアップ
「機銃掃射に追われていた祖母は、敗戦を境に朝日を拝まなくなった」この本読了後、私もこの老婦人と同じ心境に差し掛かっております。 世の中には数々の「反天皇本」が存在します。私は若い頃よりこの種の「不逞の輩」本に論争を挑んでいました。若輩者の私ですら「論破可能」と断言できる本が多かったのですが、本書『天皇のロザリオ』については違います。 本書内容の1割にはクエスチョン・マークを付ける事が出来ましたが、残り9割は「反論不能」でありました。星5つです。 この本の著者、鬼塚英昭氏は言論で飯を食っている方ではありません。「であるが故に」凄い本なのです。言論村に巣くう知識人であれば、本書『天皇のロザリオ』の様な本を書けば言論人生命に終止符をうつ覚悟が必要となるでありましょう。言論村の住民票を維持したいのであれば「ナニ?大分在住竹細工職人が書いた天皇本?」と馬鹿にする態度を取るのが賢明でありましょう。 数多くは書きません。「これは『日本版ダヴィンチコード』だ」との推薦文が載っておりますが、ダヴィンチコード以上の衝撃を保証します。特に(私の様な)民族派と呼ばれる方。知的誠実さを持たれた上で読んでみてはいかがでしょう。【第四章「神」のつくり給いし財宝の行方】を読まれた時、貴殿はどう感じられるでありましょう。「出来る事ならウソであって欲しい。私には無理だが誰か反論してくれ!」というのが現在の私の心境であります。 歴史の風景―歴史家はどのように過去を描くのかカスタマーレビューピックアップ 社会科学の研究を進める前に読むべき一書かと思います。 ここでは歴史家がいかに科学的な思考をたどっていたかが語られる一方、経済学、国際関係論などの社会科学が目指してきた科学が、現代科学が超えつつあるニュートン力学的線形思考の域を出ていないことが語られています。また、特定の現象に当てはまる法則を一般的法則に置き換えてしまう例が社会科学に多く見受けられることも指摘されていますが、神風が吹いた過去の事例を基にして必勝を信じたどこかの国を想い出しました。日常でもこのような思考を繰り返していることは多くあるでしょう。歴史研究者のためばかりではなく、社会科学の研究者、さらにロジカル・シンキングを学んでいる社会人一般にもすすめたい本です。 訳が硬いので、英語が得意な方には英文のペーパーバック(150頁程)を読むことをすすめます。 カスタマーレビューピックアップ 書いてある事は難解な箇所も多々ありますが、粘り強く読み込めばいろ いろな視点を与えてくれる本だと思います。社会(科)学の方法に違和感 を持ってる人は、是非一度読んでみて頂きたいです。その際、 E.H.カー『歴史とは何か』、マルク・ブロック『歴史のための弁明』 をあらかじめ読んでみて下さい。著者によれば、本書は上記二冊の更新 カスタマーレビューピックアップ
歴史学者である著者が、引用や比喩を巧みに利用して歴史学の手法について考察している本の邦訳です。本の内容そのものは歴史学以外の社会科学にも応用できるところが多く、卒論や修論の構想を練る段階で読んでおくときっと役立ちます。学術目的でなくとも、読み物としても十分楽しめる内容です。 ただ、翻訳の過程で原文のもつスタイルと雰囲気が失われた訳文は読み手に、学術論文における外国語文献の引用文を思い起こさせます。訳者には失礼ですが、読み通すには忍耐が必要かと思います。原著は既にペーパーバックが出ていますので、価格的にもお手ごろになりました。初めからそちらを手に取ることをお勧めします。 |
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