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Amazon人気商品ランキング/戯曲・シナリオpsWorksはAmazon.co.jpの提携サイトです。代金確認、及び商品の発送はAmazon.co.jpが行います。 1500円以上のお買い上げで国内配送料無料!! 中古価格が表示されている商品は[商品詳細]ページでご購入頂けます。 商品総数:3637/総ページ数:364 最終更新日:2008/10/13 ハムレット (新潮文庫)カスタマーレビューピックアップ 高校時代の一夏に演劇をやった事がある。文化祭の一環に演劇コンクールというものがあり それの練習で夏休みを費やしたわけだ。僕の行っていた高校はかような行事が大変盛んで 授業より行事で存在感のある人が尊敬されていた。 そんな夏に 演劇コンクールのために 新潮文庫でまとめてシェイクスピアを読んだ。何か役に立つと 15歳の僕が考えたのだろう。 今考えると 15歳にシェイクスピアはちょっと荷が重かったと思う。口ではシェイクスピアが描き出した「人間の苦悩」というような話をしていたが 所詮たいした苦悩などしてきていない高校生の生意気だけであった。それはそれで青春時代のエピソードとして 今でも僕のどこかに残っている。 シェイクスピアというと まずは本作ということになると思う。ハムレットは読んだことがなくてもハムレットという名前は皆が知っている。「ハムレットの心境」とは今でも良く使われるではないか。 「To be , or Not to be. That is the question」という言葉は 映画「荒野の決闘」でドクホリディが朗読した場面での有名だ。 そうして それがシェイクスピアの凄みである。シェイクスピアの一つのセリフが出てきた瞬間に その映画、その舞台、その場面が がらりと雰囲気が変る様は良く見られる。俗な言い方をすると一瞬にして香気がただようとでも表現すれば良いかと思う。その雰囲気は 一振りの香水にも似ている。 「To be , or Not to be. That is the question」。そう それは誰にとっても 何時になっても問題なのだ。 カスタマーレビューピックアップ ジョン・フォードの『荒野の決闘(いとしのクレメンタイン)』という映画を見ると、フォード監督は清純派よりもチワワのような「魔性の女」タイプのほうが好きなのでは?と思ってしまう。ただ、西部劇を見に来るような客というのは逆の嗜好である可能性が高い。その辺のジレンマがあの映画に出てたような気がする。ラストに「クレメンタインという”名前”は好きです」という台詞があるのは一種の皮肉かと思った。 『ハムレット』を読んで同じようなことを感じた。 カスタマーレビューピックアップ シェイクスピアの作品はテーマが3つに分けられるそうだ。 それは、命、女、金(かね)。それぞれの意味は、何のために生きるか?という事で、 「命」は自分自身のために生きること。 「女」は他人(家族・恋人を含む)のために生きること。 「金」は地位や名誉・・人間以外の物品などを手にするために生きることである。 例えばこのハムレットは「命」に属する作品で、「女」はロミオとジュリエット、「金」はジュリアスシーザー、リチャード3世、マクベスなどが代表的な作品。 ハムレットの中にも「女」「金」の要素は存在するが、主人公ハムレットはそんなものには目もくれず、自分自身の宿命を背負って死ぬ。シェイクスピアの哲学は現代にも生きている。 カスタマーレビューピックアップ もちろん、読むべき。 福田恒存氏の翻訳が素晴らしい。 読み比べたわけではないが、この水準に達するのは至難の業と思われる。 臣下たちの凛々しさ、ハムレットの台詞のカッコよさ、言葉遊びの面白さなど、いろいろな要素を生かし、実に充実している。 福田氏自身の解題、さらに中村保男氏の解説と、全てが揃っている。 浅野勝美氏の表紙絵もとても雰囲気がある(なんと『皆川博子作品精華』の装画もこの方とのこと)。 カスタマーレビューピックアップ
私は福田先生の訳のシェイクスピアしか読んだことがないので他の翻訳のものと比較することはできませんが、非常に読みやすく、しかし格調高さをもった訳だと感じました。読んでいる一つ一つの台詞につけられた身振り手振りが眼に浮かんでくるようです。ハムレットは悲劇ですが、これを書いたときのシェイクスピアの情熱が伝わってくるようでした。他のシェイクスピアの作品や他の翻訳を読んでみたくなる良い作品かと思います。 さてハムレットは狂気にとりつかれているか否かですが、私の考えでは半々かと思います。人間の心のうちに矛盾した二つの考えがあり、その間を揺れ動くというのは自然なものです。憎しみ、恨みというものは往々にして人を狂気へと誘うものであり、しかしハムレット自身は、諸所の台詞からも伺えるように、筋の通った理性的な王子であると考えられます。それ故に彼は確かに復讐を成し遂げ、しかし意図せぬ悲劇のうちに命を落としてしまったのだと思います。 余談ですが、つい笑ってしまった箇所があります。95ページの加減をたずねた王に対するハムレットの返答です。それまで彼のおかしな発言のなかにも筋が通っていましたが、これだけは本当に意味のわからない言葉が見事に並んでいたのでつい吹き出してしまいました。「カメレオンよろしく〜」って王でなくても意味がわかりません。その前の場面で「気ちがいにならねばならぬ」と言っていたことにそって、本当に狂った演技というのがでています。 ファウスト〈第一部〉 (岩波文庫)カスタマーレビューピックアップ ・元々ドイツに伝わるファウスト伝説をもとに書かれた作品。ファウストという名の錬金術師と占星家が実在したらしい。同一人物との説あり。この件は、本書の約40ページに及ぶ詳しい解説にも書かれている。 ・ゲーテが若い頃から書き始めたライフワークで、最終的には人生経験豊富な老人ならではの視点も入った、練りに練られた傑作である。構成美の一方、人間の醜悪な部分の描写もある。さらに生命力溢れる民衆の楽しみに通じた点がにじみ出ており、作品の深さと広さを感じる。「隠し砦の三悪人」など、黒澤明のいくつかの映画を思い起こさせる。 (付記1)ロックバンドThe Policeの名曲“Wrapped Around Your Finger”の歌詞に、メフィストフェレスの名が出てくる。 (付記2)1938年に毒殺されたブルーズマンのRobert Johnsonには、ギターの上達のために悪魔に魂を売ったとの伝説がある。米国の黒人と共通するとは(キリスト教の影響があるにしても)、何か悪魔には人類共通の思い入れがあるのだろうか? カスタマーレビューピックアップ ファウスト 第1部 (1) 岩波文庫 緑 6-1 ゲーテ (著), 森 林太郎 (翻訳) ISBN: 4003100611 ; 1 巻 だと思っていたら、翻訳が違うのですね。森 林太郎 というは あの文豪、鴎外です。がっかりしていたが、ちくま文庫の森鴎外全集に入っていました。 カスタマーレビューピックアップ やはりゲーテは言葉の美しさからしてなんかすごいですね。本当にその素晴らしさを語れといわれるとむずかしんだけど 感覚に訴えるっていうか言葉の美しさってこう言う感じなのかなと初めて思った作品ですね。想像してもきれいだし何よりセリフに臭さがないといったらいいか作品の雰囲気の中で自然と適切な言葉が出てきていると言うか・・・やっぱり説明すると難しいけど・・・ そして何よりもその発想力と構想力 (何かいまのSFにも十分通用するようなところありますよね) やっぱり悪魔と魂の契約をするという筋が何よりも魅力的(?) 手塚治虫がすきだったというのも納得。 あとできれば本によって訳のうまいへた、注釈とか、話の分かりやすさ結構違ったりしますので自分で少し見てみて選ぶのをお勧めします。 カスタマーレビューピックアップ それ自身が既に降霊術の呪文のような、深遠で謎めいた長い前口上。そして現れるのは老博士の書斎。脚本という形式を取る事で、私達はゲーテ自身のト書きを通し場面をヴィジュアルに思い浮かべる事ができる。魔法陣の中と外の駆け引き、メフィストフェーレスの自在な変身など、言葉にされると多分救いようもなく陳腐な表現になってしまうだろう。だから、この戯曲が上演可能か不可能かは本質的な問題ではない。動員しうる全ての想像力を刺激して訴えかけてくる、ヴァーチャルな総合芸術。文豪をして数十年の歳月を要した超大作に、あなたはどの様に打たれるか?また、シューベルトやリスト、マーラー、手塚治虫などの、この作品に触発された創作に手を伸ばしてみるのも面白い体験かも知れない。 カスタマーレビューピックアップ
心理学者で有名なユング博士が大のお気に入りだったゲーテの「ファウスト」であるが、一部にこの書物は、オカルティズムとも関連が深いと言われることがある。 しかしながら、それを読解できるのは非常に稀なことであり、殆どの人はそのような読み方をできないという評を、哲学・心理学・宗教学・オカルトなどの各書籍で見つけることができる。 さて、この書物はゲーテのライフワークであったことは確かであろう。 よく言われることであるが、ファウストもメフィストフェレスも同様にゲーテの分身であるということである。 若き神学者であり哲学者のファウスト博士は、この冒頭で眼前に偉大な何かを見つつ、それと決別せねばならない。 実は彼はこの決別に絶望しつつも、悪魔と契約し没落することで生命の素晴らしさを再び探求する旅に、今出かけるところなのだ。 さらには彼は、若い娘に神について説教され、それを悪魔に揶揄される。 「神についての専門家が、逆に説教されてしまいましたね。」という言葉には、一体何が隠されているのだろうか。 この作品は、少なくとも二重の読み方ができる。 ファウスト〈第1部〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)カスタマーレビューピックアップ 鴎外の名訳があるというので、高校生時代にファウストに初挑戦したが、なにが面白いのかわからなかった。先生に話すと、受験とは関係ないなと言われた。大学生時代だったかに相良訳のファウストが岩波文庫で出たというので読んだ。内容を掘り下げるのに苦労した。自分でも読み方が不十分と思ったし、ゲーテに対する一般的評価とは違いすぎるなと思った。その後、中央公論から手塚訳(手塚富雄訳のことで、池内訳2巻の末尾に出ている手塚治虫の漫画とは別物)が出た。これは面白かった。たしかにファウストは(そういわれるからかもしれないが)、特に第2部が奥が深いなと思った。そして、別の契機から「新訳」というのに興味がわいて、池内訳を読んだ。今までのものとの違いに驚いた。わかりやすさは格段上だ。ただし、この訳を最初に読んだとすると、ゲーテの深みが出ない感じもする。一語一語を理解するのに考えながら読んだ過去のファウストに比較すると、池内訳は「斜め読み」さえ可能である。これは、過去とは違って、時間にゆとりも出来て、ゲーテの「イタリア紀行」を携えながらナポリからパレルモへ船で渡ったり、ヴェネチアを楽しんだり、ギリシャ神話の母国やトロイ遺跡へ行ったりした後で読んだから、よけいにわかりやすかったのかもしれない。ちなみに、シチリア島のパレルモを歩くと、ゲーテの時代を感じることが出来るから面白いものだ。この池内訳は、活字離れの進む今の若者にはいいだろう。ファウストの粗筋を知って、手塚訳か相良訳に挑戦してもらうとよけいにいいと思う。特に、全てを「金銭」で判断したり、片づけようとしている今の日本の社会を見ると、多くの人(若者も高級官僚も政治家も)にファウストを読んで、考えて欲しい(特に第2部)。なお、池内訳では解説が素晴らしい。挿絵は断然、文庫ではない手塚訳のものだ。★4の理由は、新しさ(読みやすさ)と豊富な内容の解説への高い評価に、これだけではゲーテを理解するには不十分であることと挿絵のまずさのマイナス点を加えたものである。 カスタマーレビューピックアップ “ファウスト”積ん読の一冊だったのに、読んでしまった。 池内訳の散文は一気に読めたし、山本容子の銅版画のイラストもぴったりだと思った。 前半は、戯曲という形式と、神や悪魔などを受け入れるのにちょっと戸惑ったが、霊液で若返り、マルガレーテにいいより思いを遂げるファウスト。そのためにマルガレーテは、ファウストに兄を殺害され、母は死に、妊娠。産まれた赤子を殺し、獄に繋がれる。彼女に救いはあるのだろうか。最後の場面には、感動した。 読むきっかけとなったのは、北村薫「スキップ」のなかに「時よ、とまれ、おまえは美しい」の「ファウスト」の詩句を読んだことにある。 古典とは、さまざまなものに影響を与えているのだ。人間は何時の時代も変わらない。読み返すほどに奥が深いと思う。 カスタマーレビューピックアップ ファウストと言えば、相良守峯先生の名著と思われている方にも是非ご一読をお薦めしたい。 深くを追求するには、あまりにも困難きわまるゲーテであるが、このような訳が可能であるのかと、驚きながら一気に読みきってしまった。 本来の文章を追う訳本である場合、言語差による面白みの欠如からどうしてもストレスを感じてしまうのだが、異国への憧れ、人の本質、著者の伝えたいイメージがぐぐっと押し寄せてくる感じ。 ゲーテは難しいと苦手意識のある方にも安心して薦められる。少しの西洋史か神話の知識があれば、青少年にも楽しめる内容であると思う。 個人的に、挿絵のイメージが異なり星4つとさせて頂いた。 カスタマーレビューピックアップ あらすじはご存知、ファウストとメフィストの賭けの顛末であるが、訳と注によって、これほど読後感の違う作品に初めて出会った。 例えば、第一部ではファウストが悪魔に魂を売ってでも究めたかったこと、この重要な部分で訳語から受ける印象が違う。つまり、ファウストの性格設定が違ってくる。 また、順序が前後するが、冒頭の「捧げる言葉」は瑞々しい口語体で心に響く。「あるのは思い出そうとする意思だけだ。」という、アメリカ人人気作家の手に成る連作の切ない一節が浮かぶ。豊饒かつ長大なことで名高い作品で、フランス人作家が生涯かけて「求め」たのも、そうした「時」である。 明快でリズミカルな池内訳は特に年少の読者におすすめしたい。一方、『ファウスト』は一生に何度も楽しめる作品として、つとに知られる。先行する鴎外、相良、高橋各訳で読まれた方には、池内訳の結ぶ新たなファウスト像を、頭の体操を兼ねて楽しんで頂きたい。 カスタマーレビューピックアップ
旧来までの訳は難解とのことですが、この池内訳は読みやすいく、お正月休みに一気に読みました。山本容子さんの挿し絵もステキ。 読書の歓びをたっぷりと堪能させてくれました。来年のお正月休みにでももう一度読みたい。 また私はこれを機会に原文の韻文に忠実な旧訳も読んでみようと考えてます。 マクベス (新潮文庫)カスタマーレビューピックアップ マクベス。魔女の予言。誰もかれもがマクベスにその手を汚せとささやく。 「きれいはきたない。きたないはきれい」という魔女のなぞの言葉・・・・。 それは完全無欠な人生を歩むには、邪魔者を殺しその手を汚すしかなく、 その手を汚したくなければ完全無欠な人生など歩めはしない(王にはなれない)という強迫なのだ。 それがマクベスの鍵となる文句。その強迫に操られてマクベスは死ぬ。 カスタマーレビューピックアップ シェイクスピアの作品は、実際の演劇を見てから読むに限る。舞台での台詞のテンポと臨場感を一度経験しておくと、文学として読む作品に生命が宿る感覚を覚える。 どの作品もそうだが、マクベスも、シェイクスピアの人間の本質と弱さをシニカルに描いた作品と言うべきだろう。無闇に人生訓のようなものを導き出すのは良くないが、やはりどうしても、シニカルな視線の中に、学び取らねばならないものを感じてしまう。この作品では、魔女の囁きにそそのかれ、独善的となり、高揚した主人公が、冷静さを失ったゆえに、結局は身の破滅を導く、というストーリー。治世というレベルでなくとも、あらゆる人生の場面で、こんなことはあるものだ。 それにしても、やはりシェイクスピアの詩のような言い回し、巧みな比喩には、美しさを覚える。このような美しさ、それも”冷徹な美しさ”こそ、天才のなさる業だろう。 カスタマーレビューピックアップ W・シェイクスピアによる四大悲劇の一つ。 スコットランドの武将マクベスが、自らの野心と策略によって破滅する過程を描く。 王位欲しさに徳の高い君主であるスコットランド王ダンカンを暗殺したマクベス。 手にした王位を死守する為に非道の限りを尽くすも、犯した罪に苛まれる。 そして洞窟へ赴いたマクベスに魔女が言う。 「マクベスは滅びはしない。バーナムの大森林がダンシネインの丘に攻め上らぬ限りは」 「そんなことがあってたまるものか」 洞窟から帰ったマクベスはその後も非道の手を弛めることはなかったが、 魔女の言葉が真実であることを、やがて意外な形で知ることになる。 武闘派マクベスの内面の弱さによる葛藤が読みどころ。 ストーリーもシンプルで読み易い作品。 カスタマーレビューピックアップ 個人的には冗長で長編の作品が好きなため、なかなかシェイクスピアの作品には手がでなかった。 作品同様、彼の作品に対する批評にもほとんど触れたことがないため、残念ながら作品の手法、芸術的側面についてはなんともコメントしがたい。 そういうわけで、今回は専ら内容的、警句的な側面について。 この作品では権力的志向の醜悪な側面がマクベスの顛末に体現されている。ある人がこれを端的に「権力の魔性」と表現したが、まさにこの一言に凝縮されるであろう。 マクベスが権力の魔性の虜となって行く転機はどこにあったのだろうか。言い換えれば彼はどこで踏みとどまれば作品のような悲劇的結末を体験せずにすんだのであろうか。 直接的な契機は三人の魔女との遭遇にあるように描かれている。三人の魔女に唆されたというように。しかし作中のマクベスは魔女達に偶然的に狂わされた人物としては決して描かれていないように思われる。むしろマクベス自身がもともと保持する醜悪な側面が単に魔女との出会いを契機に噴出したに過ぎないというほうが穿っているのではないだろうか。 私は常々思うことがある。自分の醜悪な側面の存在を認め向かい合い、内的対話により止揚せんとする姿勢が、自身の醜悪に飲まれず逆にそれをコントロールしていくための肝要なのではないか、と。 描かれてはいなため想像の域を出ないが、日常のマクベスにはそれがなかったのだろうと思う。おそらく彼は自分の醜悪な面をはっきり自覚した体験を持たず、故に止揚するすべを知らなかった。 そのため、魔女達との出会いにより噴出した醜悪性に対し、彼は抗する(むしろ付き合うというべきか)すべをもたなかったのだろうと思われる。そして醜悪性に飲まれていくのである。 殆ど想像のみから書いてしまったが、私の読後感である。 カスタマーレビューピックアップ
私にとって恥ずかしながらこれが初シェークスピア作品となったのですが、この「マクベス」には無駄な描写がなく、ページ数も少ないため、すらすらと読み進められました。 全体として、魔女の預言が総て的中してしまうところや、マクベスが運命というものを意識しているところからも、世界や人間の動向を全的に操る「神」や「運命」といったものを作品から排除している訳ではないのですが、それでもその中に於ける一個人の持つ「欲望」といったものに視点を当て、人間の愚かさや脆さ、はたまた狂気というものを描いている点に、最終的に宗教的な救いがあるような作品とは別のリアルを感じました。 また、「いいえ、この世に生きているのだ、ここでは、悪いことをして、かえって褒められ、よいことをして、危ない目にあい、馬鹿呼ばわりもされかねない、そうだとすれば、悪いことをした覚えはないなど、所詮は女の愚痴でしかないのか?(p86 マクダフ婦人)」 「人の生涯は動きまわる影にすぎぬ。あわれな役者だ、ほんの自分の出場のときだけ、舞台の上で、みえを切ったり、喚いたり、そしてとどのつまりは消えてなくなる。白痴のおしゃべり同然、がやがやわやわや、すさまじいばかり、何の取りとめもありはせぬ。(p110 マクベス)」 など、随所に印象的な台詞が登場し、戯曲ならではの味わいを感じられました。 ファウスト〈第二部〉 (岩波文庫)カスタマーレビューピックアップ (;'Д`)ハァハァ さあてファウスト第2部だが・・・ファウストに言いたいことがある・・・。週刊少年漫画板でも聞いたが・・・ おまいの漫画は・・・漫画としての文法が成り立っていないそうだ。 本当にそうなのか・・・ おまいの漫画を一度 読んでみたいと思った。 話はそれだけだ。 カスタマーレビューピックアップ 私は、あまり一度読んだ本を二度三度と読み返さない方なのだが、「ファウスト」は、多分、中学生で一度、高校で二度、大学で一度、社会人で最低一度は読んだ。読むたびに、自分に迫ってくる個所が変るように思う。また、読書という体験から伝えられるメッセージも変る。なにか教養というものに対して幼いあこがれがあったから、最初の頃は単に名作として無理矢理読んだ。あるいは、手塚治虫の「百物語」などとの関連で読んだのかもしれない。青春のころは、グレートヒェンとの恋物語として読んだように記憶している。自分の恋と、ゲーテの恋を重ねていた。ゲーテが恋多き人生だったと、解説にあったことで安心した。 今回は、最低でも十数年ぶりに第二部から読んでいるのだが、実に面白い。随所に人生の知恵が隠されている。まだ、それらをきちんと自分の文字として、まとめるには自分の筆力があまりにも足りないのだが、くすくす笑ったり、現代との接点のあまりの深さに鳥肌立ちながら、読んでいる。実によい読書体験だ。うれしい。 カスタマーレビューピックアップ 「私がついに知ったことは、人間は実は何も知ることが出来ないということだ。」と言い、悪魔と生きることを選んだファウスト博士。 彼はその後、恋をし、老人の家を焼き、その人生を謳歌する。 さて、このファウストに家を焼かれたフィレモンという老人に、後の心理学者のユング博士は、自らの心の分身にその名前を授けた。 彼がその間違いだらけの人生にそれでも美しいと言うのならば、賭けは悪魔の勝ちである。 「とまれ。全て(あなたは)は美しい。」 この瞬間に、悪魔は賭けに勝利したにもかかわらず、神を裏切った筈のファウスト博士は、神の手助けで昇天する。 興味深いことを言えば、人生とは全て苦と説いていた仏陀は、死ぬ直前に自らの最期の食事をふるまった者を祝福しつつ、次のように言った。 ファウストが何故神に祝福されつつ昇天するかは、この作品最期にある言葉、「永遠に女性的なるもの、われらを牽きて昇らしむ。」の謎を解き明かさなければ知ることができない。 「西洋と東洋は分けて考えることはできない」(ゲーテ) カスタマーレビューピックアップ 核心をつく第2部。 運命の3女神、灯台守の詩など短詩としても美しい言葉が並ぶ。 運命の3女神のストーリーをベースにした漫画「ファイブスタ-ストーリー」(永野護)も必読。 ゲーテのファウストが難しかった人は手塚治虫さんの「ネオファウスト」を読むと理解できると思う。ただしこちらは執筆中に作者他界。未完に終ってしまった。 カスタマーレビューピックアップ
ゲーテが幾十年という歳月をかけて取り組んだ大作。おそらく自分にとってランボーがそうであるように、多くの人にとってこの「ファウスト」は読む場所や気分、年齢によって受け取り方や感じ方が変わるものであるのではないだろうか。読めば読むほど味が出てくる、そして年を重ねるごとに新しく出会う個所がある一方でわからなくなる個所も出てくる、そのような書であるような気がする。“哲学も、法学も、医学も、またいらんことに神学までも、容易ならぬ苦労をしてどん底まで研究してみた。それなのにこの通りだ、可哀想におれという阿呆が。昔よりちっとも利口になっていないじゃないか。”この言葉が二十歳の今、最も印象に残った言葉であったが、この先 読み返したときにいったいどのように感じるのだろうか。まったく未知数でであるがゆえに楽しみである。 ファウスト〈第2部〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)カスタマーレビューピックアップ
ファウストとメフィストの賭けは続く。といっても、舞台も時代も転々と移り、果ては神話の世界にまで至るから、筋を追うだけでは辛い上に勿体無い。 かつてゲーテが宮廷の要職を放り出してイタリア旅行に出てしまったように、筋は投げ出して、しばし古代のエーゲ海で、豪華キャストによるきらびやかな舞台を楽しまれたい。 中盤を楽しむほど、終盤の「灰色の女」と契約の「時」は際立つ。 さて、虚構を常識で裁くのは野暮だが、第一部で直接1人、間接的に2人を殺し、第二部でも・・・。となれば、最終的な志の如何にかかわらず、地獄行きだろう。賭けは当然、メフィストの勝ち、か? 池内訳の結末は、死を間近にした一老人ゲーテの願望の投影かもしれない、と読者に思わせる。ファウストは人格者というより普通の人だ。訳語、訳文と最小限に絞られた注、という目立たない方法で、新たに大胆な解釈を加えたように私には見えた。 サロメ (岩波文庫)カスタマーレビューピックアップ 他にもサロメの日本語訳本はありますが 文体と格調の美しさと簡潔さはこの福田さんの訳本が一番でした。 此処に出てくるサロメの姿は月の光のようにはかなく消え入りそうでいて 最後抑えていた感情を全て曝け出して愛する男の首に接吻する狂える女。 神秘的で幽玄・・・そして可愛いらしくも強い少女です。 ビアズリーの挿絵(これも素晴らしいのですが)すらこの名訳の前にかすんでしまうほど。 この福田さんの訳本が無ければ自分はここまでサロメという作品に魅せられなかったでしょう。 文句なしにお勧めです。 カスタマーレビューピックアップ 短くて、毒気に満ちている。ウィスキーボンボンのような作品ですな。本の薄さに手軽に味わえると思うと悪酔いする。子供のときに、所詮お菓子なんだからと、ボンボンをつまんで食べたら頭がクラクラしたのを思い出す。 同じような台詞が反復するのは音楽的な効果を上げている。ディオニュソス=酒の神=悲劇の神=音楽の神というニーチェの認識をうまく具現した作品。淫蕩に輝く月や薔薇の花弁が視覚に強烈に浮かんでくるので、造形芸術=アポロン的な要素も、その音楽性にうまく連動しているといえる。本当に、『悲劇の誕生』に書かれていることを実践しようと思って狙って書いたんじゃないかと思えるくらいだ。 カスタマーレビューピックアップ 作品自体については、あえて言及しない。福田恆存の翻訳は1958年のもので、そもそも旧仮名遣いを使用するなど福田らしいものである。それを踏まえれば、かなりに高水準ではあると認めるし、本作の「古典的名翻訳」と呼ぶだけの価値はあると思う。 しかし、現代の目からすると「古い!」と思わずにはいられない。特に、女性の言葉遣いは「日本語の変化」でも極めて顕著な部類である。この訳からは、サロメが十代の少女(15歳くらい?)であることが一般読者には伝わらないと思う。 著者の言うように戯曲としてより、R.シュトラウスのオペラとして有名になっていうせいもあろうけど(但し、福田の解説はいささか大げさで、劇としての上演も面白い試みがある)、改版時に訳者は既に逝去されていたことを思うと「新訳」を期待したし、今でもそれに変わりはない。 但し、従来未公開であったものも含めビアズリーの挿絵が完全収録されているのはこの岩波文庫版の大きな魅力である(これで確実に☆が1つ増)。 巻末の「解説」も上記のように多少の問題はあるけれど、文庫本のものとしては十分なものである。 カスタマーレビューピックアップ オペラを見た帰りに買った文庫本。 ……なのだが、なかなかどうして、何回も読み返している。 挿絵が魅力的。それもあるだろう。 見た舞台が美しかった。それもあるだろう (オペラって凄く得意ではないけれど)。 通じ合ない思いの儚さ、激しさ、耽美的な語り口。それもあるだろう。 ……あるのだろうけれど、どうにも不可解。 そもそも、戯曲には苦手意識があったはずなのに。 分析するのも無粋なような気がして、自分の中では「よくわからないけれど 何度も手に取ってしまう作品」として記憶されている。 今も本棚の最前面にあるのは何故なのか。また読んでみようと思う。 カスタマーレビューピックアップ
ワイルドは奇抜な言動で知られ、非常に不運な人生を送った作家です。「没道徳」の烙印を押されがちな彼の作品にはしかし、人の心を惹きつけてやまない甘美で不思議な魅力があります。 サロメは新約聖書における預言者ヨカナーンの受難の場面を一幕の戯曲にしたものであり、元の簡素な記述を何倍にも膨らまされた、不気味でおどろおどろしく、そしてどこかロマンチックな悲劇です。内容は短いので敢えてあらすじをここでは書きませんが、読む価値のある素晴らしい作品であることを保障します。戯曲なので実際のページ以上に短いため、文学だからと敬遠せずぜひ読んでみてください。このような作品を書くワイルドは『幸福な王子』などの童話の著者ワイルドと同じであることを踏まえると、より深く味わえると思います。 なお、文庫では新潮版と岩波版が存在しますが、効果的に配置されたビアズレーの挿絵と福田恆存による名訳のため、この岩波版をお薦めします。印象に残る台詞と挿絵(余談ですがワイルドはこの絵が大嫌いだったそうです)に満ちた愛と憎しみの物語にじっくりと酔いしれてください。 リア王 (新潮文庫)カスタマーレビューピックアップ shakespeareをはじめて読みました。最初は英文と並べながらこの福田版を読んでいたのですが、途中でその方式を放棄して、ひとまず翻訳で読み通すことにしました。音とリズムではなくドラマをひとまず味わうことに徹してみました。ところで、「リア王」を最初に読んだのがはたしてよかったのでしょうか?筋の発端は陳腐な問答です。そしてその後は二つのプロットが平行して進み後に交差することになります。絶え間なく再生産されて登場してくる悪を動かすものは、決してその根源が掘り下げられて提示されることはありません。ただその醜悪さだけがこれでもかというほど互いに共鳴しあってその論理的な到達点へ進んでいきます。最後にかけて、登場人物は立て続けに死んでいくことになります。そして明らかにされるのは虚飾の構造の無意味さというわけで、ここには出口はありません。これを最初に読んだのは間違いだったのかもしれません。 カスタマーレビューピックアップ シェイクスピアは世界的に権威が確立しており、賛辞以外は許されず、つまらないと書くと「文学のわからない素人」よばわりされるような風潮がある。 しかし、あえて書くけど現代日本人の私が読んだ「リア王」はつまらなかった。 シェイクスピアという事を隠し、この作品を先入観なしに読ませたら、たいていの現代人はそう言うのではなかろうか? 「シェイクスピアは世界的権威だ」という先入観があって読むから、無理に凄さを感じようとしている人が多いのではなかろうか? トルストイは「リア王」をつまらないと酷評したそうだが、その理由はリア王の激情が不自然だし、道化との対話は余計な悪ふざけだとの事らしい。 私はトルストイの指摘は正しいと思う。 嵐の中でわが身の悲劇を泣き叫ぶというのは、どう考えても不自然だろう。 カスタマーレビューピックアップ 黒澤明の映画「乱」の原作と紹介するのもシェイクスピアには失礼か。 黒澤の「乱」は 黒澤の黒澤らしい最後の映画であった。堂々たる時代劇である。淀川長治が「日本映画がこのような風格を持ってくれて涙が出るほど嬉しい」と書いていたのを憶えている。 実際には あの段階で 黒澤自身既にリア王のごとく老いていたことも確かだった。淀川長治のコメントは 映画に対し というよりは 黒澤に対する 生前ではありながら 弔辞であったと今でも思う。黒澤の往年の時代劇を見てきた小生には幾分辛いものもあった。同じシェイクスピア翻案の「蜘蛛巣城」が 独創的な翻案であったことを思っても乱の凡庸さは見逃せない。 そんな意味で黒澤とリア王が重なる。このシェイクスピアの悲劇は 救いの無い話だ。リア王もコーネリアスも死んでいく。なんでそこまで暗い話をシェイクスピアに書かせたのかと考え込んでしまう位だ。これに比べると「ロミオとジュリエット」などは 早とちりのカップルが頓死するブラックコメディーに見えて来る。 黒澤は「神の視点で人間を描きたい」と言った。「リア王」をシェイクスピアは神の視点で書いていると言っていることと同じだ。そんな黒澤とシェイクスピアが見つめた 人間の暗さが この「リア王」と「乱」の基調である。 カスタマーレビューピックアップ イギリスでは,バイブルと彼の作品が,どの家庭にもあります。それほど,愛される,理由自分で知りたい人のために,ぜひ,薦めます。リア王に,限らず4大悲劇は,それぞれ特徴が、あってすばらしいです。 カスタマーレビューピックアップ
シェイクスピアはしばしば「性格劇」と呼ばれるが、少なくとも「リア王」の後半にこれは当たらない。もうリアの性格云々の次元を超えてしまっている。「神々にたいする人間は腕白どもにとっての虫/俺たちは戯れに殺される」。ーー「最善を尽くして最悪を招いたのは/私たちがはじめてではない」とコーディリアは父王を慰める。だがその彼女もまた殺され、リアは彼女の死体を抱いて息絶えなければならない。そこには、救いも、慰めも、何も、ない。 シェイクスピア悲劇の代表作が「ハムレット」から「リア王」にかわったのは、第二次世界大戦中だったという。リアの悲劇を真に理解するために、私たちはアウシュビッツやヒロシマで「最善を尽くして」「戯れに殺される」極限状態を体験しなければならなかったということなのだろうか? シェイクスピア悲劇の、ということはつまり、文学史上における悲劇の最高峰! ロミオとジュリエット (新潮文庫)カスタマーレビューピックアップ これは喜劇の要素が強いと思う。 シェイクスピアには4大悲劇がある。ハムレット、リア王、オセロ、マクベスだ。この4つも各々味わいは違うが 一応 人間の愚かさを見据えている点が共通している。シェイクスピアの悲劇とは 「登場人物が可哀想」という事ではなく「人間が不毛である」という突き放した視線にある。彼の悲劇くらい 泣けないものはなく 暗澹とするだけである。 それに比べると シェイクスピアの中でも人気の高い本作は 喜劇である。簡単に言い切ってしまうと 誤解したカップルが頓死するどたばた劇ではないか。この話であれば 人間の不毛性というよりは「登場人物が 間抜けだけど まあ 可哀想」ということかと思う。人によっては泣けるでしょう。 すくなくとも 書いているシェイクスピアが 冷笑しているような気がしてならない。 カスタマーレビューピックアップ 少年時代、この作品を読んだところ、全く面白くなく、なぜこんなにまで人々にもてはやされるのか理解できなかった。ロミオとジュリエットの悲恋話は典型的な、陳腐なものであると感じられたからだ(実はその典型を確立したのが当のこの作品なのだが)。 しかし、今あれからもう少し年をとり、この作品の凄さが解ったように思う。この戯曲の凄さ、それはセリフの一つ一つが、熱烈な恋愛に陥っている人間に特有の心理を鮮やかに描写していることだ。情熱的な恋愛をしている人間ほど、読んで「真理ナリ!」ハタと膝を打つに違いない。流石は恋多きシェイクスピアである。これは然るべき時、然るべき状態のシェイクスピアによって作られた作品である。 カスタマーレビューピックアップ ロミオはジュリエットに会う直前まで他の女性を熱烈に愛していたが、ジュリエットに会った途端に彼女のことはきれいさっぱり忘れてしまう。恋愛の本質をついた、「ロミオとジュリエット効果」という恋愛の方程式を作ってしまった二人の愛は、障害に満ちているからこそ盛り上がるわけで、ロミオがジュリエットにいうセリフと前の女性に語りかける言葉は似通ってしまっている。二人は結局最後に死んでしまうが、生き続ければ愛が冷めてしまうこともあっただろうから、むしろそのほうがよかったのかもしれない。全力で愛に生きたという意味で、ハッピーエンドだとも言える。 カスタマーレビューピックアップ
シェイクスピアの中で一番人気のある作品といえば、きっとこの「ロミオ」ということになるのだろう。この作品をこれほど多くの人たちに支持させるもの、同じことだが、この悲劇を根底で支えているものは「喜劇」の精神だ、と私は思う。この悲劇はしばしば、同時期に書かれたもうひとつの傑作「夏の夜の夢」と比較される。だが、これらは扱われている題材が悲劇と喜劇というだけで、対比されなければならないような決定的な相違がある訳ではない。もしロミオとジュリエットを引き裂いた偶然のいたずらがなければ、これはハッピー・エンドで幕を閉じただろう。逆に、森に迷い込んだ4人の魔法が解けないままでいたとしたら、こちらのほうは悲惨な結末を迎えることになっただろう。モンタギューとキャピレットの一族をあげた対立ーー、だが、若いふたりには本当はそんなことはどうでもいい。いざとなったら、名前も捨てるし、家だって捨てるつもりだ。若い、とは、そういうことだ。幸せいっぱいのロミオは友人たちと陽気に騒ぎまわる。ジュリエットの乳母とのやり取りも軽やかだ。 だが偶然が二人を引き裂く。これまで喜びのために向けられていたふたりの全エネルギーが、今度は逆に悲しみに向けて注ぎ込まれる。悲劇は加速する。これまでのふたりが幸福感に満ち溢れていたぶんだけ、二人を襲った突然の不幸は観客の胸を打つ。ーーふたりにもう少しだけ人生経験があれば、こんな悲惨な最期は迎えずにすんだかもしれない。だが、あまりにも幸福な二人の恋人たちは、運命のなすがまま、悲劇に向けて突っ走ってしまう。 塊才シェイクスピアをもってしても、生涯に二度とはつくれなかっただろう、全編に若さを感じさせる傑作! オセロー (新潮文庫)カスタマーレビューピックアップ ムーア人であるオセロー戦地で尽力し、ひたむきに国のために戦う義を重んじる将軍である。本書の中でオセロー自身が「戦の庭にあって石を枕に鋼の床と明け暮れしてまいった身にとりましては、今や戦場こそこよなき羽毛の寝床」(PP34 L5-7) と、語っているように人々にとって彼はまさに非の打ち所のない軍人であった。 一方このように誠実である男の人生を破滅へと導く人物として描かれているのが、オセローの旗手であるイアーゴーである。彼は、外見はオセローと同じく誠実そうで最も信頼するに足る人物に思われる。だが、実際は地位を得るという私利私欲のために手段を選ばず、妻でさえも利用するしたたかな人物である。 この物語でオセローを悲劇のどん底に陥れる鍵となる人物はやはりイアーゴーである。彼の悪知恵により、周囲の者は口車にまんまの乗せられ、悲劇が悲劇を加速度的かつ連鎖的に生み出している。とりわけ、誠実なオセローはイアーゴーの進言を傾聴し、次から次へと事実からは程遠い虚言を鵜呑みにしてしまう。それが最悪の結末を招くこととなってしまった。 この作品で私は改めてシェイクスピアの緻密な作品構成に感服した。オセローの妻への疑心、イアーゴーの策略などすべてが伏線となり、ひとつとして無駄がない。なるほど、これは起こるべくして起こった悲劇であり、他の結末などあり得ないと考えざるを得ない。 カスタマーレビューピックアップ 嫉妬の悲劇。高潔で義に厚いムーア人の将軍オセローは、 旗手イアーゴーの謀略・奸智にひっかかって、優しくて 無垢な心の持ち主の妻デズデモーナが不義を副官キャシオウと 犯していると妄想してしまう。 デズデモーナの優しさと広大な愛の心に涙が止まらない。 大詰めのオセローの罪悪感と痛みも、又、悲しい。 悪のヒーローイアーゴーのキャラクターも印象的。 舞台化を意識しつつ、美しい日本語を以て訳された福田恒存氏の 名訳は読むたびに感銘を受ける。読みながら、自分が舞台に 立っているような錯覚を覚えることさえある。 声を出しながら読むことをお薦めしたい一冊である。 カスタマーレビューピックアップ 昔の自分なら、イアーゴーただ一人に煽動されたオセローはなんて馬鹿で単純な人だろうと思っていただろう。しかし、遍歴、そのほとんどが盲目な恋愛ではあるが、それを経た今となっては、デズデモーナという女性を心の底から愛していたオセローの気持ちが少し理解できたような気がした。恋愛している最中にもう一読してみたら、また違った味わい方ができるのではないかと思っている。 カスタマーレビューピックアップ 誠実な男(オセロー)が悪人(イアーゴー)に騙されて、自分の最愛の妻(デズデモーナ)を殺してしまい、最後に真実を知り自殺するという物語。「クラシック的火サス」とでも言おうか。 台詞がとにかく長いが、恋愛絡みなので古典としては読みやすいほうかも…。 一般的なイメージの「演劇」像がここにある。いかめしい台詞が並び、そんなことしゃべらねーよと思わせる。ただ、これはあくまで古典なので昨今はまた違ったものも出てきている。西洋との文化的違いも関連するし。 つかこうへい氏が好きなら意外といけるかも。勝手に、想像上で登場人物を殴りつけ・蹴り付けながら読むとハマリます。 カスタマーレビューピックアップ
シェイクスピアの悲劇の中では一番家庭的で身近な悲劇。他の悲劇と違い、王族やその関係者ではなく軍人が主人公で、彼が部下の計略により妻に対し疑心暗鬼になってしまう。オセローの劣等感を刺激するイアーゴーの作戦は彼の心理を計算していて鋭いものがある。他の悲劇の雲の上の存在のような登場人物たちに比べ、人間らしいオセローに親近感を持つ人は多いのではないでしょうか。 |
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