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OrientalismpsWorksはAmazon.co.jpの提携サイトです。代金確認、及び商品の発送はAmazon.co.jpが行います。 1500円以上のお買い上げで国内配送料無料!! 中古価格が表示されている商品は[商品詳細]ページでご購入頂けます。 商品の説明(Amazon.co.jp) 「オリエンタリズム」とは西洋が専制的な意識によって生み出した東洋理解を意味する。本書(邦題『オリエンタリズム』)はその概念の誕生から伝達までの過程をあますところなく考察した1冊だ。サイードは、東洋(特にイスラム社会)を専門とする西洋の学者、作家、教育機関などの例を挙げ、彼らの考えが帝国主義時代における植民地支配の論理(「我々はオリエントを知っている。それは西洋とはまったく違った、なぞめいた不変の世界だ」)から脱却しきっていないと厳しく批判している。 カスタマーレビューピックアップ 「現実」という言葉を考えてみたことはあるだろうか。 サイードは、言語学、歴史学、哲学などの学問において最高の権威を持つヨーロッパ人を批判する。彼らは東洋という想像の世界に夢を抱き、同時に自らを再発見しようとする。オリエンタリズムとは、単なる東洋の偏った表象ではなく、自らの表象でもあるのだ。 それは、まさに他者という鏡を通して自らを見出す人々を同じだ。 しかし、東洋学者達の労苦は結局、植民地主義や帝国主義へと繋がっていく。それは、自らよりも劣った他者を助けようという美辞麗句に基づくものであり、本当の価値を見失った結果である。 本当の価値を見失い、目の前の美しき現実に振り回されている現代人こそ、この名著を読むべきだと私は思う。 カスタマーレビューピックアップ 「非文化的・強欲・性欲過多・狂信・・・etc.」という中東人のイメージが、いかにいい加減な近代欧米人の記述により生まれ、図書館とアカデミズムという制度の発達を背景にした「引用」の網目の中で強固なイメージになっていったかを示す快著。パレスチナ生まれの著者が米国社会で経験し続け我慢できなかったと思われる「オリエンタリズム」への怨念が膨大な引用に結びついているのだが、「テクストと知の蓄積」がいかにオリエンタリズムという錯覚を生んだかという論証のためにも、これだけの引用量が方法論上必要だったのだろう。 なお、著者がどこまで意識的していたかはともかく、オリエンタリズムの成立は(、当初は「文献学」と呼ばれたと思うが)「人文学」の成立と並行しており、この本は奇しくも「人文学」のイデオロギー性にも暗に気づかせてくれる。 この点で、「人文学者」と自らを呼ぶ著者が本著の中で文学研究の重要性を強調さえしているにも関わらず、この本はその立脚点である「人文学」の脱構築としても結果的に機能してしまっている点が面白い。そして、このことは(冒頭でフーコーに言及している)著者が良質のフーコー読者だったことを示している。 カスタマーレビューピックアップ 参照と引用、それに基づいた観察と記録、さらにその参照といった繰り返しの中で強化され権威づけられていく定説。それに政治、経済的利害と小説などの文化とが絡み合いながら、オリエンタリズムという壮大な虚構が育まれていく様子を、執拗なまでに探り、暴いていく。 しかしこの本の価値は、そうした“オリエンタリズム”だけに限定されるものではありません。学問と文化、政治との絡み合い。それぞれは単独に存在するのではなく、互いに影響し合い、利害関係を持っています。政治的状況から文化は大きな影響と制約を受けます。それは逆についても言えることです。 学問、文化、報道、そして政治的、経済的利害・・・学会の権威や定説を守るための、異論を排斥しようとする力学。それらの土台の上に、参照と引用、観察、そして強化され築かれる定説。支配的な価値観、パラダイムはそれ自体が現実と見なされ、信仰している自覚すらなく、独断的教義として多くの人々の間に浸透し、放っておいても人々はそれを守ろうとする。かくしてそれは人々の間で絶大な力を持つ。そうした力学の存在。私はこの本を読み、そのいかがわしさと複雑さに頭が重くなりました。 学問、文化、報道、いかなる分野にせよ、根本的にものを考えようと思うなら、この厳しく困難な仕組みから目を逸らすことは出来ないでしょう。 カスタマーレビューピックアップ 近代に入り、歴史学・文献学等の知の分野で、オリエント(東洋)に関するテクストが集積された。オリエントについての膨大なテクストの集積がオリエンタリズムだ。オリエントに関する膨大なテクスト達は、西洋にとっての他者であるオリエントの表象を、西洋人たちにもたらした。その表象は、西洋人たちが「オリエント」と指し示す人々の表象だが、重要なのはこれらの人々の多様性・個性が切り捨てられた表象ということだ。独り歩きする表象は、やがて“真理”となり、「オリエント」と呼ばれる人たちがそこに取り込まれていくだろう。 サイードは、膨大なテクストをもとに、西洋=オリエンタリズムがいかに異文化=オリエントを表象してきたか分析し「オリエント」は西洋がかってに作り上げた都合よい他者イメージであることを指摘する。そしてサイードは、西洋とオリエントとの間に、権力・支配関係を見出す。 ここに彼は、フーコーの提起した知と権力の相互作用を見る。オリエンタリズムという知の体系が帝国主義権力によるオリエントの植民地化を促進させ、同時に権力に促されたオリエンタリズムが権威を持っていく。第一の共犯関係。 さらにサイードの議論で重要なポイントは、当のオリエントがオリエンタリズムにとって他者であるという点だ。つまり、皮肉にもオリエント自らが、オリエントのイメージを代表=表象する(represent)資格も能力もないので、西洋にイメージを作ってもらわなければならない状態だ。「オリエントは西洋にとっての局外者(アウトサイダー)であるとともに、西洋に合体させられた弱いパートナーでもあった」((下)、p.26)。オリエントの人々はオリエンタリズムのイメージに沿った「オリエント」へと訓練されていき、オリエンタリズムに寄与するのだ。第二の共犯関係。 このようにオリエンタリズムは二重の共犯関係のもと、文化的優勢を勝ちえた。 カスタマーレビューピックアップ
エドワード・サイード氏。彼は、パレスチナで生まれアメリカやヨーロッパで育ったが、サイード氏自身定まった土地に住むという習慣を持たなかった。 どこにも定住せず、欧米と中東を往来するのが、彼の潔しとした生き方であった。 また、その時に歯ブラシだけを携帯するのがいかにも、サイード氏らしい。彼の説いた『オリエンタリズム』は、西洋文明が東洋文明を発達途上で、劣化した文明だと捉える偏った見方であるとして、批判している。 彼の『オリエンタリズム』は、東洋文明と西洋文明の二面性を持つ境遇にあった彼だからこそ、マジョリティーの西洋優越主義に陥る事がなく、中立の立場で生まれたのだと思う。 この商品を買った人は他にこんな商品も買っています。 |
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